佐野史郎さんの弟は医師で、島根県松江市にある実家の医院を継いで院長を務めています。
佐野家は幕末から続く医家。長男の史郎さんが俳優の道へ進んだため、二男である弟が5代目の跡を継ぐことになったんです。
その継承が決まったのは、父が亡くなるわずか半年前のことでした。
- 弟がどんな医師で、いつ院長になったのか
- 長男が継がなかった経緯と、父と母が本当に思っていたこと
- 妻や娘、母の死をきっかけにした家じまいと2026年の活動
| 名前 | 佐野史郎(さの しろう) |
| 生年月日 | 1955年3月4日 |
| 年齢 | 71歳(2026年8月時点) |
| 出生地 | 山梨県山梨市 |
| 出身地 | 島根県松江市 |
| 身長 | 175cm |
| 血液型 | B型 |
| 所属 | mewgull |
| 職業 | 俳優、映画監督、音楽家 |
| 実家 | 松江市の佐野内科循環器科医院 |
| きょうだい | 弟と妹の3人きょうだい |
| 家族 | 妻の石川真希さんと長女の八雲さん |
※所属事務所の公表情報およびNHK「ファミリーヒストリー」などの放送内容をもとに作成
佐野史郎の弟は医者で実家の医院を継いだ
弟は二男の和也さんで、松江市の佐野内科循環器科医院の院長なんです。
佐野家は1864年から続く医家。代々長男が継ぐしきたりでしたが、5代目にあたる史郎さんが俳優になったため、弟が跡を継ぐことになりました。
弟は二男の和也さんで現在の院長
2025年11月24日に放送されたNHK「ファミリーヒストリー」で、家族構成がはっきり紹介されました。
番組によると、佐野家の二男は和也さん。勤務医を志し、のちに実家の診療所を継承したのだとか。
そして松江市の佐野内科循環器科医院が公開している院長プロフィールにも、佐野和也さんの名前が載っているんです。
同院のサイトで公開されている経歴を並べると、かなり本格的な循環器の専門医であることが分かります。
- 医学博士
- 日本内科学会が認定する総合内科専門医
- 日本循環器学会の循環器専門医
- 昭和58年3月に島根医科大学を卒業
- 同大学の第四内科に入局し大学院へ進学
- 町立仁多病院、松江市立病院、国立療養所豊橋東病院などで勤務
- 平成12年6月に佐野内科循環器科医院の院長へ就任
地元の島根医科大学で学び、県内の病院を回りながら循環器を深めてきた人ということですね。
島根医科大学は現在の島根大学医学部にあたります。昭和58年卒業なので、医師としてのキャリアは40年を超えている計算です。
総合内科専門医と循環器専門医の両方を持つ開業医は、決して多くありません。大学院まで進んで医学博士も取得しています。
俳優として東京へ出た兄と、地元で医療を支え続けた弟。同じ家に生まれて、進んだ道はまるで違うんです。
ちなみに医院の名称は、かつての佐野医院から佐野内科循環器科医院へと変わっています。弟の専門がそのまま看板になった形でしょう。
診療科目は内科と循環器科。地域のかかりつけ医として、いまも予約制で診療を続けています。
松江の宍道湖に近い場所で、160年以上にわたって同じ家が医療を担ってきたわけですね。人口が減り続ける地方で、これはかなり稀なことでしょう。
父の義和さんも、もとは東京医科大学の勤務医でした。実家を継ぐために松江へ戻り、宍道湖のほとりで開業したという経緯があります。
外で経験を積んでから地元へ戻る。この形が、佐野家では父から弟へと二代続いたことになりますね。
兄がテレビで顔を知られる一方、弟は一切表に出ていません。医院の公式サイトに経歴が載っている以外、取材に応じた記録も見当たらないんです。
顔写真も公開されていません。有名俳優の弟という立場でありながら、徹底して地域の医師としてだけ生きてきたということでしょう。
こうした距離の取り方は、開業医としてはむしろ健全ですよね。患者にとって必要なのは診療の腕であって、兄が誰かではありません。
兄の名前を出せば宣伝になったはずですが、そういう使い方は一切していないんです。そこに医師としての矜持を感じます。
父が亡くなる半年前に継承が決まった
継承のタイミングが、実は切迫したものだったんですよね。
4代目の父は佐野義和さん。平成12年、つまり2000年に胃がんで亡くなっています。
「ファミリーヒストリー」によると、義和さんが診療所を弟の和也さんに継がせると決めたのは、亡くなる半年前のことだったといいます。
そして和也さんが院長に就任したのが平成12年6月。父の最期と、医院の代替わりがほぼ同じ時期に重なっていたことになります。
それまで弟は勤務医として外の病院で経験を積んでいました。町立仁多病院や松江市立病院など、地域医療の現場を回ってきた人なんですね。
実家に戻る前提で医師になったわけではなかったのでしょう。父の病が、その進路を変えたと考えるのが自然です。
長男が継がないと分かってから、義和さんはずっと家の行く末を抱えていたはずです。病を得て、ようやく決断したのでしょう。
史郎さん本人も、父の死をめぐる時間について語っています。俳優として培ってきたものを、最期の場面で父に向けたという趣旨の話でした。
医者を継がなかった長男にできたのは、そういう形の親孝行だったのかもしれませんね。
父の義和さんは、多趣味な人としても知られていました。写真、ヴァイオリン、機械いじり、鉄道模型。医師の顔とは別の引き出しをいくつも持っていたそうです。
母の禮子さんは文学好き。この両親のもとで育てば、芸術の方向へ傾くのも無理はないですよね。
義和さんは息子の成功を「大成功やわ」と喜んでいたとも伝えられています。継がせられなかった悔しさと、誇らしさが同居していたのでしょう。
| 項目 | 内容 |
| 弟の名前 | 佐野和也さん(二男) |
| 職業 | 医師(循環器専門医・医学博士) |
| 勤務先 | 松江市の佐野内科循環器科医院 |
| 院長就任 | 平成12年(2000年)6月 |
| 出身大学 | 島根医科大学(昭和58年3月卒業) |
| 継承が決まった時期 | 父・義和さんが亡くなる半年前 |
長男の史郎が医者を継がなかった理由
そもそも、なぜ長男は継がなかったのでしょうか。
佐野家は代々長男が家業を継ぐしきたりでした。史郎さんは5代目にあたる長男。つまり本来なら医師になる立場だったんです。
ところが高校卒業後、東京の美學校で油彩画を学び、演劇の世界へ入っていきます。
1975年に劇団シェイクスピア・シアターの創設メンバーとなり、1980年には唐十郎さん主宰の状況劇場へ移籍しました。
本人が心境を語ったのが、2025年12月にEテレで放送された「スイッチインタビュー」でした。
佐野史郎が語った継がなかった心境
- 「親の愛情とか随分受けて育ったから、受けるだけ受けて、裏切ったみたいなところがある」
- 「医者にはなりようもないし、なれないっていうのもあるし、そもそもゼロですね」
裏切ったみたいなところがある。70歳を過ぎてなお、この言葉が出てくるところに重さがありますよね。
俳優として大成しても、家に対する引け目は消えない。ここが佐野史郎という人の面白さでもあります。
同時に、医者になる素質がそもそもゼロだったとも言い切っています。無理に継がなかったのは、家にとっても正解だったのでしょう。
実際、無理に継いだ二代目が医院を傾かせる例は各地にあります。向いていない人が背負うほど、患者にとっても不幸なことはありません。
結果として弟が医師になり、医院は途切れずに続きました。長男が抜けた穴を、二男が埋めた形です。
医家の跡取り問題は、いまも全国で起きています。子が継がずに閉院するケースは珍しくありません。
佐野家の場合、二男が自ら勤務医を志していたことが大きかったはずです。誰かに強いられたのではなく、自分の意思で医師になった人が結果的に家を継いだ。
だからこそ長男も、後ろめたさを抱えながらも自分の道を歩き切れたのかもしれませんね。
上位に並ぶ記事の多くは「弟が継いだ」という一行で終わっています。ですが実際には、父の余命と弟の決断が絡んだ、かなり切実な継承だったんです。
妹もいる3人きょうだいだった
見落とされがちなのが、きょうだいの人数です。
佐野史郎さんには弟だけでなく、妹もいます。「ファミリーヒストリー」では優子さんという名前で紹介されました。
番組では、父・義和さんの思いについて優子さんが証言する場面もあったといいます。
つまり長男の史郎さん、二男の和也さん、そして妹の優子さんという3人きょうだいなんです。
弟の情報ばかりが取り上げられがちですが、家の話を語り継いでいるのは妹でもあるわけですね。
なお優子さんは一般の方で、職業や現在の暮らしについては公表されていません。
きょうだいの人数について触れている記事は、実はあまり多くないんです。弟の存在だけが独り歩きしている状態と言えます。
3人きょうだいの長男。この位置づけを知ると、家を継がなかったことの重さも少し違って見えてきますよね。
家族の一人ひとりが、それぞれの形で家と向き合ってきた。番組が丁寧に描いたのは、そこだったのだと思います。
母が語った本音と出雲大社に連なるルーツ
母方の家柄も、かなり特別なものだったんです。
父・義和さんの妻となったのが、佐野禮子さん。出雲を代表する名家である北島家の出身です。
北島家は出雲大社の祭祀を司る国造として知られる家柄。明治維新前までは人前に出ることも許されない立場だったのだとか。
その禮子さんは音楽と演劇が大好きな人でした。息子の芸術的な感性は、母から受け継いだものと考えるのが自然でしょう。
そして番組では、晩年の禮子さんが初めて明かした本音が紹介されました。
医者ではなく芸術の道に進む子どもがほしかった、という言葉です。
長男が家を継がなかったことを、母はむしろ望んでいた。この一言で、家族の見え方がまるで変わりますよね。
父は継いでほしかった。母は継がないでほしかった。相反する願いの間に、長男が立たされていたわけです。
父親としての義和さんは、決して抑圧的な人ではなかったようです。趣味に没頭する背中を見せながら、跡目のことは口に出さずに抱えていたのでしょう。
それでも長男が家を出たあと、二男に望みを託すまでには長い時間がかかりました。決断したのが余命を意識してからだった、という事実がそれを物語っています。
医家のしきたりに縛られてきた家で、母だけが別の願いを抱えていた。しかもそれを長く口にしなかったわけです。
初代は行き倒れの侍を助けて佐野を名乗った
そもそも佐野家は、もともと佐野姓ではありませんでした。
ルーツは春日家。江戸時代中期には熊野神社で楽を奏する役を務めた家柄だったと伝えられています。
転機になったのが、若き日の春日文修さんが道端で倒れていた侍を介抱した出来事でした。
その侍の名が佐野蔵大輔さん。この縁から文修さんは佐野の姓を名乗り、診療所を開いたとされています。
行き倒れを助けたことが、150年以上続く医家の始まりになった。落語のような、けれど本当にあった話なんです。
助けた侍の姓をそのまま名乗るという選択も、なかなかできることではありません。よほど深い縁があったのでしょう。
その後の流れも番組で紹介されました。2代目の佐野珠悦さんは戦時中に軍医として戦地で活動しています。
3代目の佐野文泰さんは医学専門学校を出て校医を務めました。そして4代目が史郎さんの父・義和さんです。
| 代 | 名前 | 主な事績 |
| 初代 | 春日文修(のち佐野文修) | 行き倒れの侍を助けた縁で佐野姓を名乗り診療所を開く |
| 2代目 | 佐野珠悦 | 戦時中に軍医として戦地で活動 |
| 3代目 | 佐野文泰 | 医学専門学校を卒業し校医を務める |
| 4代目 | 佐野義和 | 松江で開業、2000年に胃がんで死去 |
| 5代目(長男) | 佐野史郎 | 医師を継がず俳優の道へ |
| 継承者(二男) | 佐野和也 | 2000年6月に院長就任、現在も診療を続ける |
医院の建物は昭和39年、1964年に新しく建て替えられています。創業から数えて、ちょうど100年の節目にあたる年でした。
史郎さんが小学1年生で松江に移ったのが、ちょうどこの時期にあたります。新しい医院と一緒に育った少年時代だったわけですね。
熊野神社で楽を奏していた家から医家へ。そして5代目で俳優が出る。音楽と芸能の血が、一周して戻ってきたようにも見えます。
こじつけかもしれませんが、母方が出雲大社の国造家であることを思うと、この家系はもともと祈りと表現の側にいたのかもしれません。
医と芸。相反するようでいて、どちらも人の心と体に向き合う仕事です。兄と弟は、同じ根から別の枝に育ったと言えるでしょう。
佐野史郎の家族と2026年現在
妻は女優の石川真希さんで、長女は舞台美術を手がける八雲さんです。
2025年には母を看取り、松江の実家の家じまいを実施。20トンを超える荷物を処分したことを番組で明かしました。
佐野史郎のプロフィールと経歴年表
歩みを並べると、医家の長男が別の道で名を成すまでの流れが見えてきますよね。
| 時期 | できごと |
| 1955年3月4日 | 父の勤務先の関係で山梨県山梨市に生まれる |
| 生後2カ月 | 東京へ転居 |
| 小学1年 | 父が実家の医院を継ぐため島根県松江市へ移る |
| 中学・高校 | 島根大学教育学部附属中学校、島根県立松江南高等学校を卒業 |
| 高校卒業後 | 上京し美學校で油彩画を学ぶ |
| 1975年 | 劇団シェイクスピア・シアターの創設メンバーとなる |
| 1980年 | 唐十郎主宰の状況劇場へ移籍 |
| 1984年 | 状況劇場を退団 |
| 1986年 | 映画「夢みるように眠りたい」で映画初主演 |
| 1992年 | TBS「ずっとあなたが好きだった」の冬彦役が社会現象に |
| 1995年 | 竹内銃一郎と演劇ユニット「JIS企画」を結成 |
| 2000年 | 父・義和が胃がんで死去、弟が医院を継承 |
| 2018年 | 「限界団地」で連続ドラマ初主演 |
| 2019年11月 | ロケ中に腰椎を骨折し全治2カ月 |
| 2021年4月 | 腎臓機能障害で入院し多発性骨髄腫が判明 |
| 2021年12月10日 | テレビ番組で病名を公表 |
| 2023年6月 | 急性腎障害で緊急入院、7月8日に退院 |
| 2025年 | 母が92歳で死去し実家の家じまいへ |
| 2025年11月24日 | NHK「ファミリーヒストリー」に出演 |
| 2025年12月5日・12日 | Eテレ「スイッチインタビュー」で家じまいを語る |
妻は女優の石川真希で娘は八雲
自身の家族はどうでしょうか。奥さんと娘さんの2人と暮らしています。
妻は女優の石川真希さん。1959年12月25日生まれで、史郎さんより4歳年下なんですね。
もともとはプロのアイススケーターで、その後に舞台女優へ転じた経歴の持ち主。出会いは状況劇場だったとされます。
結婚から30年以上が経ちますが、良好な関係が続いているのだとか。
奥さんの顔写真は舞台関連の媒体などで見ることができます。ただし夫婦で並んだ写真が積極的に公開されているわけではないんですよね。
子供は娘が1人。1992年生まれの佐野八雲さんです。
名前の読みは「やぐも」。史郎さんが幼いころから敬愛してきた小泉八雲にちなんで付けられました。松江に暮らした文豪ですから、故郷への思いも重なっているのでしょう。
八雲さんは多摩美術大学の版画科を卒業し、舞台美術の分野で活動しています。2016年の舞台「骨風」や2018年の「プロヴァンスの庭で」で美術を担当しました。
画像は舞台関係の告知などで確認できますが、テレビに顔を出すタイプの活動ではありません。
版画から舞台美術へ。父が俳優、母も舞台の人ですから、自然と劇場が身近だったのでしょう。
娘さんと一緒にライブへ出かけることもあると語られています。親子の距離が近い家庭のようですね。
孫については何も明かされていません。娘さんの結婚に関する発表もないため、現時点では分かっていないと考えるのが正確でしょう。
医家としての6代目はいませんが、表現者としての次の世代はすでに育っている。佐野家の継承は、そういう形になったわけですね。
医家の6代目にはならなかったけれど、表現の家系としては見事に受け継がれているわけですね。
息子がいるという情報はなく、孫についても公表されていません。
現在は東京郊外の二世帯住宅に暮らしていると語られています。1階に妻の両親、2階に夫妻という構成だそうです。
自分の実家をたたむ一方で、妻の実家とは同じ屋根の下。家との関わり方が、松江と東京でまるで逆になっているのが面白いところですよね。
娘に八雲と名付けたことからも、故郷への思いの強さが伝わってきます。小泉八雲は松江に暮らし、怪談を書き残した人。史郎さん自身も怪談や幻想の世界を好んで演じてきました。
| 続柄 | 名前 | 情報 |
| 妻 | 石川真希さん | 1959年12月25日生まれの女優、元プロアイススケーター |
| 娘 | 佐野八雲さん | 1992年生まれ、多摩美術大学版画科卒、舞台美術を担当 |
| 息子 | 情報なし | 公表されていない |
| 孫 | 情報なし | 公表されていない |
| 父 | 佐野義和さん | 医師、2000年に胃がんで死去 |
| 母 | 佐野禮子さん | 出雲の北島家出身、2025年に92歳で死去 |
母の死と2025年の家じまい
2025年、佐野家にとって大きな区切りが訪れました。
母の禮子さんが92歳で亡くなり、松江の実家をたたむことになったんです。
父が亡くなった2000年の時点で、実家の敷地の半分は弟が相続していました。弟は同じ場所で医院を続けています。
つまり家じまいの対象になったのは、医院とは別の住まいの部分ということですね。
作業の規模は想像を超えるものでした。本人が明かした処分量は20トンあまり。半年をかけて片づけたといいます。
費用についても率直に語っています。廃品や遺品の整理には、ものすごくお金がかかると。
江戸時代から続く家ですから、蔵にも部屋にも代々のものが積み上がっていたはずです。捨てるかどうかの判断だけでも膨大だったでしょう。
この経験を語ったのが、2025年12月5日と12日にEテレで放送された「スイッチインタビュー」でした。対談相手は作家の桜木紫乃さんです。
この人と語り合いたいと熱望したのは、史郎さんのほうだったと番組は伝えています。
家族のあり方を書き続けてきた作家と、150年の家をたたんだ俳優。家とは何か、家族とは何かを語り合う内容でした。
史郎さんは処分にあたり、親族へ手紙を送ったとも伝えられています。勝手に片づけるのではなく、筋を通そうとしたわけですね。
実家じまいは、いまや誰にとっても他人事ではありません。医家の長男という特別な立場でも、直面する現実は同じだったんです。
この話題は2026年に入ってからも取り上げられ続けています。3月にはネットニュースで再び拡散し、多くの共感が寄せられました。
20トンという数字の生々しさが、同じ悩みを抱える世代に刺さったのでしょう。
母を看取って初めて家の形が変わった、という趣旨のことも語っています。父が亡くなった2000年の時点では、まだ家は家のまま残っていたわけですね。
25年かけて、ようやく一つの区切りがついた。そう考えると、家じまいは長い時間の終着点だったのかもしれません。
とはいえ医院そのものは残ります。住まいは消えても、160年続いた診療は弟の手で続いていく。そこは救いのある話ですよね。
家を継ぐとは何か。建物なのか、仕事なのか、それとも記憶なのか。佐野家の場合、そのすべてが別々の形で残った珍しい例と言えるでしょう。
多発性骨髄腫からの復帰と2026年の出演作
健康面も気になるところでしょう。
2021年4月、腎臓の機能障害で入院した際に多発性骨髄腫が判明しました。放送中だったドラマ「リコカツ」を途中降板しています。
病名を公表したのは同年12月10日のテレビ番組。造血幹細胞移植と抗がん剤治療を受け、12月26日に退院を報告しています。
入院先の病院名は公表されていません。治療の詳細も本人が語った範囲にとどまります。
その後も体調の波はありました。2023年6月には急性腎障害で緊急入院し、7月8日に退院しているんです。
医者の家に生まれた長男が、自分は患者として病と向き合うことになった。皮肉といえば皮肉ですが、家業への距離感も変わったのかもしれませんね。
多発性骨髄腫は血液のがんの一種で、骨や腎臓に影響が出ることがあります。腎臓の不調から見つかったという経緯も、その特徴に沿ったものでした。
造血幹細胞移植は体への負担が大きい治療です。66歳で受けて仕事に戻ったのですから、相当な体力があったのでしょう。
闘病後は、がん患者に向けた冊子のインタビューにも応じています。同じ病を抱える人へ言葉を届ける側に回ったわけですね。
2019年11月にはロケ中に腰椎を骨折し、全治2カ月の怪我も負っています。60代後半から体の試練が続いた形です。
それでも仕事は途切れていません。2024年には横浜の映画祭にも元気な姿を見せています。
2026年も出演作が続きます。6月19日公開の「マジカル・シークレット・ツアー」、7月3日公開の「氷血」、夏公開予定の「怪奇!死肉の男」などが控えています。
ジャンルもばらばらです。ホラーからヒューマンドラマまで、選ばずに引き受けているのが分かりますよね。
闘病を経てなお、この稼働量。医者にならなかった長男は、別の場所でしっかり体を張り続けているわけです。
71歳でこの本数。冬彦さんで社会現象を起こしてから30年以上たった今も、現場に立ち続けているんですよね。
1992年のTBS「ずっとあなたが好きだった」で演じた冬彦役は、日本のドラマ史に残るキャラクターになりました。マザコン男の代名詞として、いまも名前が出てきます。
翌年の「誰にも言えない」でも同系統の役を演じ、悪役俳優としての地位を確立しました。
その後は「ゴジラ2000 ミレニアム」「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」「Fukushima 50」など、映画でも幅広く起用されています。
俳優だけでなく、映画監督や音楽家としての顔も持つ人。美學校で絵を学んだ経歴が、いまも根っこにあるのでしょう。
1986年の映画「夢みるように眠りたい」で初主演を飾ってから、40年。冬彦さんの前にも後にも、長い積み重ねがあったわけです。
佐野史郎の弟についてのまとめ
- 弟は二男の佐野和也さんで、松江市の佐野内科循環器科医院の院長を務める医師
- 島根医科大学を昭和58年3月に卒業し、医学博士と循環器専門医の資格を持つ
- 父・義和さんが亡くなる半年前に継承が決まり、2000年6月に院長へ就任した
- 長男の史郎さんは5代目にあたるが医師を継がず俳優の道へ進んだ
- きょうだいは弟だけでなく妹の優子さんもおり、3人きょうだいだった
跡取りが抜けた家を、弟が静かに支え続けてきた。兄が全国区の俳優になれたのは、その土台があったからなのでしょう。
冬彦さんの強烈な印象で知られる人が、実は160年続く医家の長男。この落差もまた、佐野史郎という俳優の奥行きなんですよね。
よくある質問
Q1. 佐野史郎さんの弟は本当に医者なのですか
A. 医師です。NHK「ファミリーヒストリー」では二男の和也さんが実家の診療所を継承したと紹介されました。松江市の佐野内科循環器科医院が公開している院長プロフィールにも佐野和也さんの名前があり、医学博士で日本循環器学会の循環器専門医とされています。
Q2. なぜ佐野史郎さんは医院を継がなかったのですか
A. 高校卒業後に上京して美學校で絵を学び、演劇の世界へ進んだためです。本人は2025年12月放送の「スイッチインタビュー」で「医者にはなりようもないし、なれないっていうのもあるし、そもそもゼロですね」と語っています。母は芸術の道に進む子どもがほしかったと晩年に明かしました。
Q3. 佐野家の家系図はどうなっているのですか
A. 初代は春日文修さんで、行き倒れていた侍の佐野蔵大輔さんを助けた縁から佐野姓を名乗り診療所を開いたとされています。2代目が軍医の珠悦さん、3代目が校医の文泰さん、4代目が史郎さんの父・義和さん。5代目にあたる長男が史郎さんで、実際に継いだのは二男の和也さんです。
Q4. 妻や娘はどんな人ですか
A. 妻は女優の石川真希さんで、1959年12月25日生まれ。元プロアイススケーターで、のちに舞台女優となりました。娘は1992年生まれの佐野八雲さんで、多摩美術大学版画科を卒業して舞台美術を手がけています。息子や孫についての情報は公表されていません。
Q5. 現在の病状と入院した病院はどこですか
A. 2021年に多発性骨髄腫が判明し、造血幹細胞移植と抗がん剤治療を受けて同年12月に退院しました。2023年6月にも急性腎障害で緊急入院し、7月8日に退院しています。入院先の病院名は公表されていません。2026年も複数の映画公開が控えており、活動は続いています。

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