川中美幸に子どもはいる?兄にもいないと語った理由とは?

川中美幸に子どもはいる?兄にもいないと語った理由とは?

川中美幸さんに子どもはいません。妊活はしたものの授からなかったと伝えられています。

2歳上のお兄さんにも子どもがおらず、本人はお墓を誰が守るのかという悩みも語っているんです。

  • 子どもがいないと分かる根拠と、本人が語った言葉
  • 夫や母、兄まで含めた家族構成の全体像
  • 母から受け継いだお好み焼き店と、2026年の活動
項目 内容
名前 川中美幸(かわなか みゆき)
本名 山田岐味子(旧姓・川中)
生年月日 1955年12月5日
年齢 70歳(2026年9月時点)
出身地 大阪府吹田市
血液型 B型
所属 テイチクレコード
結婚 34歳のころに結婚
子ども いない
演歌歌手の川中美幸さん
出典:川中美幸オフィシャルサイト(プロフィール
川中美幸さんの家族構成
名前は非公表
三波春夫のファン
両親を呼び寄せた年に死去
━━
久子さん
美空ひばりのファン
2017年ごろに92歳で死去
名前は非公表
2歳上
母とお好み焼き店を営んだ
子どもはいない
演歌歌手の川中美幸さん
本人
川中美幸さん
1955年12月5日生まれ
演歌歌手・女優
━━
名前は非公表
元関西テレビ社員
テレビプロデューサー
1991年ごろに結婚
川中美幸さんに子どもはいません(兄にも子どもはいないと本人が明言)
実線は婚姻を表します。顔画像が公表されているのは川中美幸さんのみで、ご家族の顔画像は公開されていません。
川中美幸さんの写真の出典:川中美幸オフィシャルサイト(プロフィール
目次

川中美幸に子どもはいない

子どもはいません。夫との間にも、これまでにも授かっていないんです。

本人がインタビューで、私にも兄にも子どもがいませんからね、と語っています。

本人が子どもがいないと明言している

まず結論から。川中美幸さんに子どもはいないんです。

このことは本人が公の場で語っていますね。婦人公論のインタビューでの発言でした。

私にも兄にも子どもがいませんからね。私たちがこの世を去ってしまったら、誰がお墓を守ってくれるのだろうか。そう話していました。

自分だけでなく、2歳上の兄にも子どもがいないことをはっきり述べているんですね。

つまり川中家には、次の世代がいないということになります。

演歌歌手として長く活動していると、二世タレントの話題が出ることもありますよね。川中さんの場合はその可能性がもともとないわけです。

そのぶん、後進の育成や店を通じたファンとの交流に時間を使ってきた面もあるでしょう。

ファンクラブは美幸倶楽部という名前で運営されています。長く応援してきた人が多いんですよね。

デビューから50年以上、同じ人を追いかけてきたファンもいるはずです。その関係も家族に近いのかもしれません。

息子や娘がいるという情報を見かけることもありますが、そうした事実は確認できませんでした。

歌手として長く活動していると、家族についての憶測が広がりやすいものですよね。名前の似た人物と混同されている例も見受けられます。

本人がここまで明確に語っている以上、迷う余地はないでしょう。

この発言が出たのは、母の遺骨とお墓について話していた場面でした。子どもの話が単独で出たわけではないんです。

誰がお墓を守るのかという現実的な問いの前提として、子どもがいないという事実が語られた。そういう文脈でした。

母を見送ったあとに向き合わざるをえなかった問題ということですね。

だからこそ重みがあります。話題づくりで語られた話ではないんですよね。

子どもの有無を聞かれて答えたのではなく、自分から必要な情報として口にした。そこに誠実さを感じます。

この記事の元になった取材は2019年のものでした。その後に再配信され、多くの人の目に触れています。

徹子の部屋への出演に合わせて再び配信されたもので、話題としては何度も掘り起こされてきた内容ですね。

70歳を迎えた現在も、状況は変わっていません。子どもがいるという発表もされていないんです。

演歌の世界では家族の話がステージのトークに出ることも多いですよね。それでも川中さんの口から子どもの話が出ることはありません。

妊活はしたが授からなかった

子どもができなかった経緯についても、断片的に語られているんです。

結婚相談所を営む植草美幸さんが、ラジオでの共演をもとにブログで紹介した内容によると、川中さんは妊活をしていたそうです。

それでも子どもには恵まれず、現在は夫と愛犬とともに暮らしているのだとか。

愛犬は柴犬でミルクという名前です。夫婦と一匹の生活ですね。

結婚したのは34歳のころ。当時としては決して早い結婚ではありませんでした。

婚活を始めたきっかけも母だったと伝えられています。30代半ばになったころ、結婚して自分の幸せをつかみなさいと母に勧められたそうです。

歌手として走り続けてきた人が、母の一言で立ち止まった。母娘の関係の深さが出ている話ですよね。

ただ、この経緯は本人の直接の言葉として記録されたものではありません。伝聞として受け止めておくのが妥当でしょう。

本人が公の場で妊活について詳しく語った記録は見当たりませんでした。踏み込んで書いている記事もありますが、出典は示されていません。

不妊の原因や治療の内容といった話も、当然ながら公表されていないんです。

デリケートな話ですから、語られていないことを推測で埋めるのは避けたいところですね。

本人が語ったのは、いないという事実と、その結果として生まれた悩みまで。そこから先は踏み込んでいません。

1990年ごろの結婚で、当時34歳。医療の環境も今とはずいぶん違いました。

不妊治療が保険適用になったのは2022年のことです。当時は費用も情報も限られていた時代でしょう。

30代半ばでの結婚となれば、時間的な余裕も多くはありませんでした。

そうした背景まで含めて考えたい話だと思います。

本人が悔いを口にしたという記録もありません。夫と犬と暮らす今を穏やかに語っています。

その時期に妊活へ取り組んだこと自体、当時としては珍しかったかもしれません。

婚活という言葉すら一般的ではなかった時代に、母の後押しで相手を探した。ここも先を行っていた人ですね。

歌手として全国を回りながらの生活でもありました。体の負担も相当だったはずです。

夫は元関西テレビのプロデューサー

結婚相手についても分かっていることがあります。

とはいえ、公表されている範囲はかなり限られているんですよね。

夫は元関西テレビ放送の社員で、テレビプロデューサー。名前は公表されていないんですね。

結婚したのは34歳のころ。テレビプロデューサーの上沼真平さんの部下にあたる男性でした。

仲人を務めたのは、上沼真平さんと上沼恵美子さんの夫妻です。芸能界らしい縁組ですよね。

本名が山田岐味子さんとなっているのは、この結婚によるもの。旧姓が川中で、それがそのまま芸名になっているんですね。

夫は2000年に覚醒剤所持の現行犯で逮捕されたと、音楽評論家の小西良太郎さんの著書に記録されているんです。

それでも夫婦は別れていません。現在も一緒に暮らし、お好み焼き店の運営にも関わっているとされています。

一般の方ですから、これ以上の情報は表に出ていないんです。顔画像も公開されていません。

ネット上には夫の氏名を挙げる記事もあります。ただ、確認できる資料では夫の名前は伏せられたままなんですよね。

結婚から30年以上が過ぎました。芸能界のなかでも長く続いている夫婦のひと組でしょう。

夫はいまも川中さんの活動を支えているとされ、お好み焼き店の運営にも関わっているといいます。

表に出ないまま、裏方として支え続けている。そういう関係なんですね。

テレビ局のプロデューサーという仕事柄、芸能界の事情にも通じている人でしょう。歌手を支えるには理解のある立場だったはずです。

母・久子さんとの一卵性母娘

川中さんの人生を語るうえで外せないのが母の存在でしょう。

母の名前は久子さん。一卵性母娘と呼ばれるほど仲の良い関係でした。

父は三波春夫さんの大ファン、母は美空ひばりさんの大ファン。家の中には常に演歌が流れていたのだとか。

父が体を悪くしてからは、母が人の倍以上働いて生活を支え、父の借金も返していたそうです。

私がプロの歌手になれば、もっと親を助けられる。子どもの頃にそう思うようになったと本人が振り返っています。

17歳でのデビューがうまくいかず大阪へ戻ったときも、母は歌だけが人生じゃない、あんたは何をやっても成功する人だからと言って迎えたそうです。

傷ついて帰ってきた娘を責めなかったわけですね。この一言があったから、もう一度立ち上がれたのでしょう。

再デビューへ背中を押したのも母でした。母がいなければ、演歌歌手の川中美幸は生まれていなかったことになりますね。

デビューも、再デビューも、結婚も。人生の節目にはいつも母がいたわけです。

その母は2017年ごろ、92歳で亡くなりました。

父を早くに見送っていたぶん、母との時間は長く続いたことになります。

娘が家を建て、母を呼び寄せ、その母が店を開き、娘がその店を継ぐ。親子で1つの流れを作ってきた家族なんです。

母が92歳まで生きたことを思うと、川中さんが介護した期間もそれなりに長かったはずです。

在宅介護を選べたのは、仕事をセーブできる立場だったからでもあります。歌手として実績があったからこその選択ですね。

要介護5は、寝たきりに近く全面的な介助が必要な状態を指します。在宅で看るには相当な覚悟が要る段階なんですよね。

食事も排せつも移動も、すべてに手が必要になります。施設を選ぶ家庭が多いのも無理はありません。

それでも自宅を選んだのは、母と一緒にいたいという思いが強かったからでしょう。最後ぐらいはそばに、という言葉に尽きます。

母の遺骨は今も自宅にある

母の最期についても、本人が詳しく語っているんですよね。

母は要介護5の状態。それでも川中さんは仕事をセーブし、自宅での介護を選ぶんです。

最後まで絶対に私のそばで。そう覚悟を決めたと語っているんですね。

兄も反対しませんでした。おまえのそばにいることがお母ちゃんは一番幸せだと思う。そう言ってくれたそうです。

母を見送ったあと、遺骨は自宅に置いたままにしています。離れがたかったのでしょう。

住職に相談したところ、いつまでにお墓に入れなければいけないという決まりはない、と言われたといいます。

その言葉に甘えて、自分が死ぬときまで母の遺骨をそばに置き、最後は2人一緒に埋葬してもらおうかと考えていると話していました。

一卵性母娘と呼ばれた関係が、亡くなったあとも続いている形ですよね。

ここで出てくるのが、子どもがいないという事情なんです。

自分にも兄にも子どもがいない。だから、誰がお墓を守ってくれるのだろうかという問いが生まれます。

両親の墓を誰が継ぐのか。自分たちの墓はどうするのか。避けて通れない話ですよね。

70代に入り、この問題はさらに現実味を帯びてきているはずです。

だからこそ、母の遺骨を手元に置いたまま最後は一緒にという発想が出てきたのでしょう。誰かに託せないなら、自分が抱えていく。そういう選択です。

子どもの有無が、ただの家族情報ではなく将来の選択に直結している。そういう話なんですよね。

70歳になった川中美幸さん
出典:川中美幸オフィシャルサイト(プロフィール

兄は2歳上でお好み焼き店を支えた

兄についても分かっていることをまとめておきます。

2歳上の兄がいます。名前は公表されていません。

ふたり酒がヒットしたあと、川中さんは家を建てて両親を大阪から呼び寄せました。ところが父はその年の暮れに亡くなってしまいます。

その後、母は渋谷でお好み焼き屋を開きました。そこへ兄も上京し、母と2人で店を切り盛りするようになったんです。

現在、兄は町田の家で一人暮らしをしていると語られています。

兄にも子どもはいません。川中さん自身がそう明言しています。

きょうだいそろって子どもがいないため、家名を継ぐ人もお墓を守る人もいない状況になっているわけですね。

兄が母と店を切り盛りしていたということは、家族ぐるみで店を支えていたことになります。

その店を今は妹が継いでいる。血のつながりで受け渡すものが、子どもではなく店だったとも言えますよね。

兄が上京したのは、父を亡くした母を支えるためでもあったのでしょう。家族が集まって店を守った時期があったわけです。

兄妹そろって独身というわけではありません。兄についても、家族構成は詳しく語られていないんです。

近年は同じ悩みを抱える家庭が増えています。有名歌手の口から語られたことで、多くの人が自分に重ねたのではないでしょうか。

少子化が進むなかで、墓を継ぐ人がいないという問題はどこの家にも起こりえます。永代供養や墓じまいを選ぶ人が増えているのもそのためですね。

永代供養は、寺や霊園が家族に代わって供養を続けてくれる仕組みです。継ぐ人がいない家庭の選択肢として広がってきました。

墓じまいは、今あるお墓を撤去して遺骨を別の場所へ移すこと。どちらも子どもがいない家庭では現実的な検討事項でしょう。

川中さんの場合は、自分が亡くなるときまで母の遺骨を手元に置くという選択を考えていました。制度より気持ちを優先した形でしょう。

手元供養という言葉もあり、遺骨を自宅に置くこと自体は法律上の問題になりません。埋葬の期限も定められていないんです。

墓地埋葬法が定めているのは、埋葬する場所を墓地に限るという点。いつまでにという期限の規定はないんですね。

住職の言葉はその点を伝えたものでした。専門家の一言が、遺された人の気持ちを軽くした例ですね。

同じように遺骨を手元に置いている人は少なくありません。決して特別な選択ではないんです。

分骨して一部だけを手元に残す方法もあります。選択肢は思っているより広いんですよね。

川中美幸のプロフィールと2026年の現在

1955年12月5日生まれの70歳。大阪府吹田市の出身です。

70歳になった今も新曲を出し、コンサートと舞台を続けています。

川中美幸の経歴年表

デビューまでの道のりが平坦ではありませんでした。

出来事
1955年 12月5日に大阪府吹田市で生まれる
1973年 春日はるみの芸名でワーナー・パイオニアからデビュー
1976年 ネオン街音楽祭でグランプリを受賞
1977年 川中美幸としてテイチクから再デビュー
1980年 ふたり酒が発売されミリオンセラーに
1981年 第32回NHK紅白歌合戦に初出場
1990年ごろ 34歳のころに結婚
2017年ごろ 母の久子さんが92歳で死去
2024年 松竹新喜劇にゲスト出演
2026年 新曲の暖流桜が有線リクエスト1位に

中学2年のときに作詞家のもず唱平さんにスカウトされ、中学卒業を待って父と2人で上京しました。

定時制高校に通いながら1年の準備期間を経て、17歳で春日はるみの芸名でデビューします。

ところが当時はアイドル全盛の時代。新人の演歌歌手はほとんど見向きもされませんでした。

2年で歌手活動を終えて大阪へ戻り、母のお好み焼き屋を手伝いながら今後を考える日々が続いたそうです。

19歳のとき、もず唱平さんから大阪でネオン街音楽祭という大会があると誘われます。約650人の応募者からグランプリに選ばれ、再デビューが決まったんですね。

25歳までに売れなければ今度こそ歌手を諦める。そう条件を決めての再出発でした。

小学3年のときには、家族で行った東大阪市のヘルスセンターでちびっこのど自慢大会に飛び入り参加しています。父にけしかけられての出場でした。

都はるみさんの馬鹿っちょ出船を歌って優勝し、副賞に勉強机をもらったのだとか。それまでは兄の机の引き出しだけを使わせてもらう暮らしでした。

この一件を両親が喜び、以後は関西各地ののど自慢大会に出るようになります。歌が家族を明るくする道具になっていたんですね。

何度も優勝し、賞金やステレオセット、化粧品といった副賞を持ち帰ったそうです。子どもの歌が家計の足しになる家でした。

8ミリビデオをもらったこともあったといいます。1960年代の家庭にとっては相当な贅沢品でしょう。

父にけしかけられて出た大会が、そのまま人生の入口になりました。父もまた歌の道へ背中を押した1人なんですね。

子どもの頃は狭いアパートでの貧しい暮らし。歌はそこから抜け出すための手段でもあったのでしょう。

21歳で川中美幸として再デビューしたものの、ヒットに恵まれないまま24歳が過ぎていきました。

ふたり酒が代表作になった理由

転機は5曲目のふたり酒でしょう。1980年3月25日の発売でした。

歌詞は男口調で、いきてゆくのがつらい日はおまえと酒があればいい、という夫婦の歌なんです。

この曲を電話で母に聴かせたとき、受話器の向こうから母の泣く声が聞こえてきたそうです。

そのとき川中さんは気づきます。この歌はうちの両親の歌だ、と。

それまでの歌い方は、聴いてくださいと声を張り上げるものでした。ところが力いっぱい歌うと聴く側も疲れてしまう。

そこで、ささやくような歌い方に変えたところ、曲は徐々にヒットしていきました。

何曲聴いても肩が凝らない。周りからそう言われるようになったと振り返っています。

母の涙が歌い方を変え、それが代表作を生んだ。子どもがいない代わりに、母との絆が作品になったとも言えますよね。

デビュー前の本人は、デビューすればすぐ成功して翌年には両親の家を建てられると思っていたそうです。

現実はそう甘くありませんでした。それでも最終的に家を建て、両親を呼び寄せる約束を果たしています。

この曲でミリオンセラーを記録し、1981年には紅白歌合戦へ初出場を果たすんですね。

第32回から第38回まで、7年続けて紅白に出場しました。80年代の演歌を代表する歌手の1人だったわけです。

1981年には日本レコード大賞の金賞、翌1982年にも金賞。賞レースでも常連だったんです。

ふたり酒のあとには遣らずの雨、夫婦ちゃんりんなど、夫婦や家族を題材にした曲を数多く歌っています。

発売年 曲名 備考
1980年 ふたり酒 ミリオンセラー。母の涙が歌い方を変えた曲
1982年 越前岬 北陸を舞台にしたヒット曲
1983年 遣らずの雨 山上路夫作詞・三木たかし作曲
1998年 二輪草 2曲目のミリオンセラー。板橋区に歌碑
2007年 夫婦ちゃんりん 夫婦を題材にした1曲
2026年 暖流桜 有線演歌歌謡曲リクエストで1位

もう1つの代表曲が、1998年に発売された二輪草です。

この曲は1999年5月に100万枚を突破しました。ふたり酒に続く2曲目のミリオンセラーですね。

ヒットを受けて、東京都板橋区のりんそう公園には歌碑が建てられています。歌碑が立つ歌手はそう多くありません。

二輪草は寄り添う夫婦を草にたとえた歌でした。子どもの歌ではなく、2人の歌なんですよね。

ふたり酒も二輪草も、支え合う男女を描いた曲です。川中さん自身の生き方とも重なって見えてきます。

夫が逮捕された年も別れずに支え続けました。歌の世界と現実がつながっている歌手なんですよね。

二輪草も夫婦を歌った曲でした。子どもを持たなかった歌手が、夫婦の歌で2度のミリオンを出している。不思議な巡り合わせですよね。

作詞は水木かおるさん、作曲は弦哲也さん。ふたり酒と同じく弦哲也さんが手がけた曲です。

夫婦を歌わせたら右に出る者がいない。そんな評価が定着していったのもこのあたりからでしょう。

母から受け継いだお好み焼き店かわなか

現在の川中さんには、歌手以外の顔もあるんですよね。

東京の渋谷にあるお好み焼き店かわなかの経営。母の久子さんが始めた店を受け継いだんです。

2024年4月には、この店で取材会も開いていますね。

お好み焼きの香りをかぐと、いつも初心に戻れる気がする。そう語っていました。

最近は海外からの客も多く、大忙しだといいます。演歌歌手の店に外国人が集まるのも時代ですね。

コロナ禍を越えて客足が戻り、若い世代も来店しているそうです。

副業という言い方をされることもありますが、母の店を守るという意味では本業に近いのかもしれません。

歌手と店主の二足のわらじ。演歌の世界でもかなり珍しい立ち位置でしょう。

母が守った店を娘が継ぐ。子どもがいないぶん、この店が受け継いだものの形になっているのでしょう。

店の名前も、旧姓のかわなかのままです。母が付けた名前をそのまま残しているわけですね。

ファンにとっては本人に会える場所でもあります。イベント会場としても使われているようです。

渋谷という土地で長く続いている店です。母が始めた当時から数えれば40年以上になるでしょう。

趣味の欄にも鉄板料理が入っています。お好み焼き店を継ぐ人らしい趣味でしょう。

ほかの趣味はゴルフ、小物集め、キャンドル作り、洋裁。手を動かすことが好きな人なんですよね。

2026年の活動と現在

70歳になった2026年も、活動は止まっていないんです。

新曲の暖流桜は、2026年1月21日付の有線演歌歌謡曲リクエストランキングで1位を獲得しました。

作詞は鹿児島出身の京えりこさん、作曲は弦哲也さん。郷土愛のある詞に温もりのあるメロディという組み合わせですね。

8月5日には、東京力車とのコラボレーション配信シングル、ニッポン・ワッショイのコラボバージョンがリリースされました。

12月5日には静岡の森町文化会館でコンサートが予定されています。71歳の誕生日にあたる日ですね。

誕生日にステージへ立つというのも、この人らしい過ごし方でしょう。

公式サイトではスケジュールも随時更新されていて、コンサートやイベントの予定が確認できます。

2024年には松竹新喜劇の喜劇発祥120年公演にもゲスト出演。役どころは娘の幸せを願う母親でした。

会場は大阪松竹座。関西出身の川中さんにとっては、地元での大きな舞台だったんですね。

ずっと出演したかった松竹新喜劇の舞台で願いがかなってうれしい。情にあふれていた私の母をそのまま演じられればと思っています。そう語っていました。

情にあふれていた私の母。この一言に、母への思いがそのまま出ていますよね。

自分の母を役として演じる。子どもを持たなかった人が、母を演じることで母を継いでいるようにも見えますよね。

2024年2月には、テイチクレコード創立90周年記念シングルとして人生日和も発売されました。節目の1枚を任される存在です。

デビューから数えると50年を超えるキャリアなんですね。演歌の世界でここまで長く第一線にいる人はそう多くありません。

舞台でも実績を重ねてきました。1983年の大阪梅田コマ劇場での初座長公演を皮切りに、新宿コマ劇場や名古屋中日劇場でも主演を務めています。

1987年にはアメリカ公演も行っています。演歌歌手として海を渡った時期もあったわけですね。

歌って、芝居をして、店も切り盛りする。70歳の働き方としては相当なものでしょう。

1983年の初座長公演は浪花慕情・ねんねころいちという演目でした。以後、毎年のように座長公演を重ねています。

1980年代には紅白の常連として毎年暮れの舞台に立っていました。世代によっては、その頃の姿を覚えている人も多いはずです。

1981年には第14回全日本有線放送大賞や日本有線大賞でも賞を重ねています。有線のリクエストで支持を集めるタイプの歌手でした。

2026年の暖流桜が有線で1位を取ったのも、その系譜の上にあるわけですね。

デビューから半世紀を過ぎても有線で1位を取れる。演歌の世界でも珍しいことでしょう。

川中美幸の子どもについてのまとめ

  • 川中美幸さんに子どもはいない
  • 妊活はしたものの授からなかったと伝えられている
  • 2歳上の兄にも子どもがおらず、本人が明言している
  • 母の遺骨を自宅に置き、お墓を誰が守るのか悩んでいると語った
  • 母から受け継いだお好み焼き店を渋谷で経営している

子どもはいなくても、母から受け取ったものはたくさんありました。

歌も、店も、歌い方も。全部が母から来ているんですよね。

子どもの話から入っても、行き着く先はいつも母。そういう歌手なのだと思います。

子どもの有無を調べに来た人も、その先にある母娘の話まで知ると印象が変わるのではないでしょうか。

70歳になってなお新曲を出し、店に立ち、舞台にも上がる。その原動力は母から受け取ったものなのだと思います。

子どもはいなくても、受け継ぐものはちゃんとある。そんな家族の形もあるんですよね。

よくある質問

Q1. 川中美幸さんに子どもはいますか

A. いません。本人が婦人公論のインタビューで、私にも兄にも子どもがいませんからね、と語っています。息子や娘がいるという情報も見かけますが、裏づけとなる事実は確認できませんでした。

Q2. 子どもができなかった理由は何ですか

A. 妊活はしたものの授からなかったと伝えられています。ただ、これは本人が直接語った言葉としては記録されておらず、ラジオで共演した方がブログで紹介した内容になります。医学的な理由などは公表されていません。

Q3. 夫はどんな人ですか

A. 元関西テレビ放送の社員で、テレビプロデューサーです。名前は公表されていません。34歳のころに結婚し、仲人は上沼真平さんと上沼恵美子さんの夫妻が務めました。夫は2000年に覚醒剤所持で現行犯逮捕されたと書籍に記録されていますが、夫婦は別れていません。

Q4. 兄弟はいますか

A. 2歳上の兄がいます。母が渋谷で始めたお好み焼き店を、母と2人で切り盛りしていました。現在は町田で一人暮らしをしていると語られています。兄にも子どもはいません。

Q5. 現在は何をしていますか

A. 70歳になった2026年も演歌歌手として活動しています。新曲の暖流桜が有線リクエストで1位になり、8月には東京力車とのコラボ配信シングルもリリースされました。渋谷のお好み焼き店かわなかの経営も続けています。

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