わたなべまさこの夫は陶芸家の渡辺六郎!結婚と息子の現在は?

漫画家・わたなべまさこさんの夫は、陶芸家の渡辺六郎さんです。1949年ごろ、わたなべさんが19歳前後のときに結婚し、六郎さんは2012年8月に亡くなっています。

わたなべさんは2026年10月3日、97歳で永眠しました。生前のメッセージには「主人とも久しぶりに会える」という一文が残されていたんです。

  • 夫・渡辺六郎さんの人物像と、結婚した時期やなれそめ
  • 漫画家になる前に夫を支えた挿絵の仕事と、別居婚と言われた夫婦の形
  • 1952年生まれの息子さんや家族のこと、代表作と晩年の様子
名前 わたなべ まさこ
本名 渡邊 雅子(旧姓・片山)
生年月日 1929年5月16日
死去 2026年10月3日(97歳)
出身 東京府(現在の東京都)
学歴 上野学園短期大学中退(1947年)
夫 渡辺六郎さん(陶芸家、2012年8月に他界)
子供 息子1人(1952年ごろ生まれ)
代表作 『ガラスの城』『聖ロザリンド』『金瓶梅』
主な受賞 小学館漫画賞、日本漫画家協会賞文部科学大臣賞、旭日小綬章
わたなべまさこさんの家族
わたなべまさこさん
本人
わたなべまさこさん
1929〜2026年
漫画家・本名 渡邊雅子
=
渡辺六郎さん
夫
渡辺六郎さん
陶芸家
2012年8月に他界
長男
息子さん
1952年ごろ生まれ
一般の方・名前非公表
1929年
東京府に生まれる
旧姓は片山。弟や妹がいた
1949年ごろ
渡辺六郎さんと結婚
19〜20歳での結婚。挿絵の仕事で家計を支える
1952年
長男誕生・漫画家デビュー
手塚治虫作品に刺激を受け『小公子』でデビュー
1971年
『ガラスの城』で小学館漫画賞
少女漫画の第一人者に
2006年
女性漫画家初の旭日小綬章
2012年8月
夫・六郎さんが他界
結婚から60年あまり
2026年10月3日
97歳で永眠
生前のメッセージに「主人とも久しぶりに会える」
顔写真の出典:[公式]わたなべまさこ X(2025年5月16日、2026年10月13日の投稿)。夫の名前と職業は『総特集 わたなべまさこ』(河出書房新社)のプロフィールによる
目次

わたなべまさこの夫は陶芸家の渡辺六郎さん

夫の渡辺六郎さんは陶芸家で、2012年8月に亡くなりました。ふたりは戦後まもない1949年ごろに結婚し、六郎さんが亡くなるまで60年あまり連れ添っています。

わたなべさんが漫画家になったのは、結婚したあとのことでした。

夫は陶芸家の渡辺六郎さん

わたなべまさこさんの夫は、渡辺六郎さんという陶芸家です。2018年に河出書房新社から出た『総特集 わたなべまさこ 90歳、今なお愛を描く』のプロフィールに、そう記されています。

六郎さんは2012年8月に永眠しました。わたなべさんが83歳のときのことで、それから14年あまり、わたなべさんはひとりでペンを握り続けてきたことになるんですね。

ペンネームの「わたなべ」は、結婚後の姓からきています。本名は渡邊雅子さんで、旧姓は片山。デビューのときから夫の姓で作品を発表してきたわけです。

戸籍上の表記は旧字の「渡邊」ですが、作品ではひらがなの「わたなべまさこ」を使ってきました。やわらかい響きのひらがな表記は、少女たちに親しまれる名前として定着していったんですね。

六郎さんが亡くなった2012年当時、その死が大きく報じられることはありませんでした。わたなべさん自身も夫のことを多くは語らず、名前が広く知られるようになったのは、2018年の総特集本がきっかけだったと見られます。

陶芸家としての六郎さんの経歴や作品については、残念ながら詳しい資料が見つかりませんでした。窯の名前や作品展の記録なども、公に確かめられる情報は少ないのが実情です。

陶芸は、土をこね、ろくろで形をつくり、窯で焼き上げるまでに長い時間がかかる仕事です。一方の漫画も、下描きからペン入れ、仕上げまで、一枚ずつ手で描き上げていく根気の仕事。どちらも「手しごと」の職人という点で、ふたりは通じ合うところが多かったのではないでしょうか。

それでも、漫画家と陶芸家という、どちらも手で形を生み出す仕事の夫婦。互いのものづくりに理解のある、似たもの同士の2人だったのかもしれませんね。

パリで夫の渡辺六郎さんと寄り添うわたなべまさこさん
パリで夫の渡辺六郎さんと寄り添うわたなべまさこさん。出典:[公式]わたなべまさこ X(2026年10月13日)https://x.com/masako_wtnb/status/2109792608163950717

なお、「わたなべ」つながりで、歌手の渡辺はま子さんの夫について気になる人もいるようです。名前が似ているだけで、わたなべまさこさんとは関係のない別の人物なんですね。

この写真は、2026年10月13日に公式Xが訃報とあわせて公開したものです。エッフェル塔を背に、わたなべさんが六郎さんの腕にそっと手をからめているのが印象的ですよね。

撮影した年は明かされていません。六郎さんの髪は真っ白で、ふたりがある程度年齢を重ねてから出かけた旅行のときの一枚と見られます。

結婚は19歳のころで漫画家になる前

結婚した時期は、1949年ごろとされています。海外の漫画家データベースには1949年に結婚したと書かれていて、国内のまとめ記事でも「19歳で結婚」と紹介されています。

わたなべさんの誕生日は5月16日なので、1949年の春までなら19歳、それ以降なら20歳での結婚になります。どちらにしても、今の感覚ではかなり早い結婚ですよね。

厚生省の人口動態統計によると、1950年の女性の平均初婚年齢は23.0歳でした。当時と比べても、19歳前後での結婚は早いほうだったと言えます。

1949年といえば、終戦からまだ4年。物資も仕事も足りない時代に、若いふたりが新しい家庭を築いたことになります。

ちなみに、まとめ記事には「17歳で終戦を迎えた」という記述もあります。ですが1945年8月の時点で、わたなべさんは満16歳でした。17歳というのは数え年で数えた場合の年齢なんです。

結婚の2年前、1947年には上野学園短期大学を中退しています。戦後の混乱がまだ続くなか、学業を離れて家庭に入った、という流れが見えてきます。

なれそめについては、恋愛結婚だったという話が伝わっています。ただ、どこで出会ったのか、本人がどう語っていたのかを確かめられる一次資料は見つかりませんでした。

自伝エッセイ『まんがと生きて』(双葉社、2008年)や2018年の総特集本のインタビューには、若いころの暮らしもつづられています。夫婦の詳しいエピソードを知りたい方は、手に取ってみるのもいいでしょう。

総特集本は、わたなべ作品の研究や原画の保存に取り組む「図書の家」が編集した191ページの一冊です。プロフィールや年譜、全作品リストまで載っていて、わたなべさんを知るうえで最も確かな資料のひとつになっています。

夫を支えた挿絵の仕事と手塚治虫

結婚したばかりのわたなべさんは、まだ漫画家ではありませんでした。最初の仕事は、本の挿絵や絵本の絵を描くことだったんです。

海外の資料には、夫が当時学生で、わたなべさんが挿絵の仕事で家計を支えていたという趣旨の記述もあります。新婚の若い妻が、絵の腕一本で家を支えていた姿が浮かびますね。

転機は23歳ごろに訪れました。明治大学米沢嘉博記念図書館の展示によると、このころ手塚治虫さんの作品に出会い、漫画を描き始めたそうです。

手塚治虫さんは1928年生まれで、わたなべさんとは1歳違いのほぼ同世代です。2020年にマンガMeeの編集長も、わたなべ先生は手塚先生とほぼ同世代の生まれだと紹介していました。

そして1952年、貸本漫画の出版社・中村書店で『小公子』を描き、若木書房から『すあまちゃん』『涙の賛美歌』を出して少女漫画家としてデビューしました。

スポニチの訃報記事でも、結婚後に手塚作品に刺激を受けて漫画家を志したと紹介されています。結婚がなければ、漫画家・わたなべまさこは生まれていなかったのかもしれません。

デビュー作を出した中村書店は、戦前から子ども向けの漫画単行本を手がけてきた出版社です。若い新人にとって、作品を世に出す貴重な入り口だったんですね。

当時の漫画は、街の貸本屋で借りて読む「貸本漫画」や、安い紙で刷られた「赤本」が中心でした。わたなべさんも、まずこうした単行本の世界から腕を磨いていったんです。

1950年代の少女漫画は、男性の漫画家が描くことも多いジャンルでした。そのなかで、女性の描き手として早くから人気を集めたのがわたなべさんだったんですね。

雑誌デビューは1957年の「少女」正月増刊号に載った『星よ またたけ』です。同じ年に「少女ブック」で初めての連載『山びこ少女』が始まり、一気に売れっ子の仲間入りをしました。

1963年に創刊された「週刊マーガレット」では、創刊号から『ミミとナナ』を連載しています。少女漫画の歴史そのものを、最前線で支えてきた人なんです。

年 できごと
1947年 上野学園短期大学を中退
1949年ごろ 渡辺六郎さんと結婚、挿絵や絵本の仕事を始める
1952年ごろ 手塚治虫作品に出会い、漫画を描き始める
1952年 長男が誕生、『小公子』などで漫画家デビュー
1957年 『山びこ少女』から少女漫画雑誌での連載を開始

別居婚だったという夫婦の形

夫婦の暮らしぶりについては、「別居婚だった」という話があります。総特集本のロングインタビューを読んだ読者が、お互いの仕事のためにずっと別居婚だったと紹介しているんです。

漫画家は締め切りに追われ、昼夜を問わず机に向かう仕事です。わたなべさんは最盛期に4本もの連載を抱えながら、子育てもしていた時期があったそうです。

一方の陶芸家も、窯のある場所に腰を落ち着けて作陶する仕事でしょう。それぞれの仕事場を大切にした結果、別々に暮らす形を選んだと考えるのが自然です。

芸術家どうしの夫婦が、仕事場を分けて暮らすのは珍しいことではありません。創作に集中できる環境を、それぞれが持つための選択だったと見るのが自然でしょう。

ネットには、わたなべさんは家庭を顧みず漫画ばかり描いていた、という声も見かけます。けれども、本人の言葉で語られたものではなく、確かめられる話ではありません。

離れて暮らしていても、写真で見るふたりの距離はとても近いんですよね。仕事を尊重し合う、大人の夫婦だったのではないでしょうか。

総特集本の紹介文には、「生まれ変わってもマンガ家になりたい」という言葉が掲げられていました。夫や家族に支えられながら、生涯をかけて好きな仕事を貫いた人の言葉として、重みがありますよね。

総特集本のインタビューは2万4000字にもおよぶ長いもので、読んだ人の感想では、苦労話をほとんど語っていないのが印象的だったそうです。夫婦のことも、きっと明るく話していたのでしょうね。

夫は2012年に他界

六郎さんが亡くなったのは2012年8月です。結婚から60年あまり、わたなべさんは83歳でした。

その前年の2011年には、1993年から約18年にわたって描き続けた最長編『金瓶梅』が完結しています。大作を描き終えた翌年に、夫を見送ったことになるんですね。

その後もわたなべさんの創作は止まりませんでした。2017年には、宝島社から再版された『聖ロザリンド』に、44年ぶりの描き下ろし新作「第0話」が収録されています。

2020年4月には、91歳で集英社の漫画アプリ「マンガMee」に完全新作『秘密-ひめごと-』を週刊連載しました。オリコンの取材に「漫画を描く事が、つらいと思った事は一度もないんです」と語っていたのが印象に残ります。

同じ2020年の6月には、双葉社の「月刊JOUR」に新作『中国怪異譚 朱い紐』41ページも発表しました。コロナ禍の緊急事態宣言のさなかで、アシスタントとの「密」を避けるため、たった1人で描き上げたそうです。しかも締め切りより2週間近く早く仕上げたというのですから、驚かされますよね。

夫を見送ったあとも描き続けたことは、六郎さんへの何よりの供養になっていたのかもしれませんね。

2023年3月14日には、93歳で公式Xも開設されました。2020年の時点で本人はスマートフォンを使っていなかったそうで、運営スタッフが近況や原画を紹介し、本人のコメントを届ける形がとられてきました。

2025年5月の96歳の誕生日には、笑顔の写真とともに本人のコメントが届けられているんです。

出典:[公式]わたなべまさこ X(2025年5月16日)https://x.com/masako_wtnb/status/1923151410650128388

好きなスイーツはシュークリームだそうで、白でまとめた装いもとてもすてきでした。

オリコンによると、この投稿には3800を超える「いいね」がつきました。子どものころに先生の絵を毎日まねして描いていた、ドレスのフリルの描き方を覚えた、という声も寄せられていたそうなんです。

何十年も前の読者が、今も作品を覚えている。それだけ多くの人の子ども時代に寄り添ってきた作家だったということですよね。

生前メッセージの「主人」とパリの写真

2026年10月13日、公式Xは、わたなべさんが10月3日午前0時38分に永眠したと発表しました。最期は穏やかに、眠るように旅立ったといいます。

出典:[公式]わたなべまさこ X(2026年10月13日)https://x.com/masako_wtnb/status/2109792608163950717

亡くなってから発表まで、10日ほどの間がありました。家族だけで静かにお別れを済ませてから、ファンに知らせたのかもしれませんね。

訃報とあわせて公開されたのが、わたなべさんが以前からスタッフに預けていたメッセージです。ファンや仕事仲間、身の回りの世話をしてくれた施設のスタッフや看護師、弟や妹をはじめとする家族へ、感謝の言葉がつづられていたんですね。

メッセージには、自伝と同じ『まんがと生きて』という言葉もありました。あっという間の人生だったけれど、胸にはいくつもの思い出が宝物のように光っている、という趣旨の言葉が続きます。

そのなかに、向こうでは大事な人たちが待っていて、「主人とも久しぶりに会えると思っています」という一文があったんです。

訃報が伝わると、ネット上には「子どものころから作品と一緒に育った」「怖くて美しい絵が忘れられない」といった追悼の声が次々と寄せられました。

14年前に旅立った夫と、ようやく再会できる。そんな思いで最期を迎えたのだとしたら、とても温かい別れですよね。

メッセージには、パリの写真はずっとデスクに置いていたものだとも書かれていました。夫と並んだあの一枚を、毎日仕事机から眺めていたということになります。

パリは、わたなべさんの作品にもたびたび登場する街です。1967年には「週刊マーガレット」で『サ・セ・パリ』を連載するなど、欧米を舞台にした華やかな作品で少女たちを夢中にさせてきました。

まだ海外旅行が自由ではなかった時代に、作品のなかでパリを描いてきた人が、のちに夫とその街を歩いた。そう考えると、あの写真がデスクの特等席に置かれていた理由も分かる気がします。

寂しいときは自分がパリにいると思ってほしい、と呼びかけ、最後は「またねー」。わたなべさんらしい、茶目っ気のある結びの言葉ですよね。

わたなべまさこの歩みと家族

わたなべさんは1952年のデビューから70年以上、少女漫画の第一線で描き続けました。女性漫画家として初めて旭日小綬章を受けた、まさに少女漫画界のパイオニアといえる存在でしょう。

家族は夫と息子さん1人。息子さんは一般の方で、名前などは公表されていません。

息子は1人で1952年生まれ

わたなべさんには息子さんが1人います。海外の資料では、生まれたのは1952年とされています。

2020年の新連載のとき、わたなべさんは「生まれた息子がもう67歳のオジン」と書き、自分も漫画家生活67年の「オバン」になったとユーモアたっぷりにコメントしていたんです。

息子さんが生まれた年と、漫画家としてデビューした年がちょうど重なっているわけですね。子育てと漫画家人生を同時にスタートさせたことになり、その忙しさは想像を超えますよね。

2018年には、総特集本のチラシを見て、特大サイズを息子さんの家の玄関ドアに貼ってこようかしら、とお茶目に喜んだというエピソードも、編集に関わった方のXで紹介されていました。

漫画家として忙しい毎日のなかで、息子さんを育て上げたわたなべさん。最盛期には4本の連載を抱えていた時期もあったそうですから、家族の協力があってこその両立だったはずです。

ネットには「息子さんは医師」という書き込みもあります。けれども、本人や家族が語った記録は見つからず、確かな情報とは言えません。息子さんは一般の方なので、職業や名前はここでも推測しません。

1952年生まれだとすると、息子さんは2026年の時点で70代前半ということになります。母の訃報を受け、静かに見送られたのでしょう。

孫がいるかどうかも公表されていません。生前メッセージの「家族のみんな」という言葉からは、にぎやかな家族に囲まれていた様子がうかがえます。

家族と若い頃の暮らし

わたなべさんは1929年、東京府に片山家の娘として生まれました。生前メッセージに「弟妹」とあることから、弟や妹がいたことが分かるんです。

総特集本の読者の感想によると、きょうだいの多い家で、ひとりだけ祖父母の家で暮らしていた時期があったそうです。自伝『まんがと生きて』には、疎開先での不思議な体験もつづられているそうです。

若い頃は、戦争と終戦を10代で経験した世代です。1945年の終戦時は16歳で、多感な時期を戦時下で過ごしたことになりますね。

戦争中の暮らしや疎開の経験は、のちに描く怪談やホラー作品の、どこか哀しい空気につながっているのかもしれません。ただ、これは作品から感じる印象で、本人がそう語った記録があるわけではありません。

「わたなべまさこ」の名前では、美容家の渡辺雅子さんの情報が出てくることがあります。漢字の本名が同じ「渡辺(渡邊)雅子」なので混同されがちですが、まったくの別人なんです。

父や母がどんな仕事をしていたのか、片山家がどんな家だったのかについては、確かめられる情報がほとんどありません。自伝には子どものころの思い出も書かれているので、気になる方は読んでみてください。

美容家の渡辺雅子さんはエステティックの分野で長く活躍してきた方で、漫画家のわたなべさんに美容家の経歴はありません。ネットの情報を見るときは、どちらの「まさこさん」の話なのかを確かめたいところですね。

代表作ガラスの城とシャム双生児

代表作のひとつが『ガラスの城』です。1969年から1970年にかけて「週刊マーガレット」で連載され、1971年に第16回小学館漫画賞を受けました。

『ガラスの城』は、境遇のちがう少女たちの愛憎を描いた長編で、少女の心の奥にある善と悪の両方に読者が共感したと評されています。それまでの母娘ものや姉妹ものから、一歩踏み込んだ作品だったんです。

1973年の『聖ロザリンド』は、無邪気な少女が次々と罪を重ねていくサスペンスホラーで、当時の読者に強烈な印象を残しました。

2017年には宝島社の「このマンガがすごい!comics」から再版され、44年ぶりの描き下ろし「第0話」が収録されて話題になりました。半世紀たっても色あせない作品だということですよね。

「シャム双生児」の話題でよく名前が挙がるのが、1973年の「なかよし」付録『ふたご座生まれ』です。体がつながって生まれた双子の姉妹をめぐる物語で、子どものころに読んで忘れられないという声が今も多い作品なんですね。

作品名 発表時期 ポイント
ガラスの城 1969〜1970年 第16回小学館漫画賞
聖ロザリンド 1973年 サスペンスホラーの代表作
ふたご座生まれ 1973年 結合双生児の姉妹を描いた作品
悪女シリーズ 1980年代前半 単行本18冊の短編連作
独りまつり 1985〜1986年 2003年にドラマ「愛しき者へ」の原作に
金瓶梅 1993〜2011年 約18年続いた最長編
秘密-ひめごと- 2020年 91歳で発表した完全新作

1980年代にはレディースコミックへ活躍の場を移し、日本を舞台にした愛憎劇や怪談を数多く手がけました。1990年代には泉鏡花の『夜叉ヶ池』など、近代文学の漫画化にも挑んでいます。

『独りまつり』を原作にしたドラマ「愛しき者へ」は、2003年3月から6月まで東海テレビ制作・フジテレビ系の昼の帯ドラマとして放送されました。漫画を読んでいなくても、ドラマで作品に触れた人は多いかもしれませんね。

1991年から2003年にかけては、ホーム社から『わたなべまさこ名作集』全100冊が刊行されました。いまは電子書籍ストアで多くの作品が配信されていて、試し読みや期間限定の無料配信で読めることもあります。

はじめて読むなら、代表作の『ガラスの城』か『聖ロザリンド』がおすすめです。ゾクッとする怖さを味わいたい方は、『ふたご座生まれ』や怪談の短編集から入るのもいいでしょう。

訃報を受けて、これから作品の再評価や追悼企画が進む可能性もあります。公式Xの発表をこまめにチェックしておくと安心ですね。

晩年と現在

旭日小綬章は、国や社会に功績のあった人に贈られる勲章のひとつです。2006年春の叙勲で受章したわたなべさんは、女性の漫画家として初めての受章者でした。少女漫画が社会的に認められた、象徴的な出来事だったと言えるでしょう。

2006年には、文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で審査委員も務めました。描き手としてだけでなく、次の世代の作品を評価する立場からも、漫画界に関わってきたんですね。

わたなべさんは日本漫画家協会の理事を務め、創造学園大学では創造芸術学部の教授として後進も育てました。2002年に日本漫画家協会賞文部科学大臣賞、2006年に女性漫画家として初めて旭日小綬章を受けています。

2011年には京都国際マンガミュージアムで、竹宮惠子さんが監修する原画プロジェクトの展示にあわせ、水野英子さん、今村洋子さん、巴里夫さんとトークショーに登壇しました。同じ世代の漫画家たちと少女漫画の歴史を語る「少女マンガを語る会」にも参加し、その記録は2023年に青土社から『少女マンガはどこからきたの?』として本になっています。メンバーにはちばてつやさんや高橋真琴さんも名を連ね、わたなべさんは草創期を知る貴重な証言者だったんです。

2018年11月には東京のギャラリーで原画展が開かれ、89歳のわたなべさんが会場でサイン会を行いました。ファンとの交流を大切にしていた様子が伝わってきます。

晩年は施設で暮らしていたとみられ、生前メッセージでは施設のスタッフや看護師にも名指しで感謝を伝えていたほどです。最期まで、周りの人を大切にする方だったのでしょうね。

「わたなべまさこさんは現在どうしているの?」と気になっていた方もいるでしょう。2025年5月の96歳の誕生日には元気な姿を見せていましたが、それから1年あまり後に旅立ったことになります。

2026年10月3日に97歳で亡くなり、現在は公式Xが今後も原画や未公開作品を紹介していくと発表しています。わたなべ作品の世界は、これからも私たちの前に新しい姿を見せてくれるのでしょう。

まとめ

  • わたなべまさこさんの夫は陶芸家の渡辺六郎さんで、2012年8月に亡くなった
  • 結婚は1949年ごろで、わたなべさんは19歳前後だった
  • 結婚後に挿絵の仕事を始め、手塚治虫作品に刺激を受けて1952年に漫画家デビュー
  • 息子さんが1人いて、1952年ごろ生まれの一般の方
  • 2026年10月3日に97歳で永眠し、生前メッセージで夫との再会に触れていた

漫画とともに生きた97年。そのそばには、同じものづくりの道を歩んだ夫・六郎さんの存在がありました。心よりご冥福をお祈りいたします。

作品のなかで何度もパリを描き、最後にはパリの写真を残して旅立ったわたなべさん。夫との再会を楽しみにしていたその言葉は、多くのファンの胸に長く残りそうです。

よくある質問

Q1. わたなべまさこさんの夫は誰ですか?

陶芸家の渡辺六郎さんです。2012年8月に亡くなりました。結婚から60年あまり連れ添ったことになります。『総特集 わたなべまさこ』(河出書房新社)のプロフィールに記されています。

Q2. 結婚したのはいつですか?

1949年ごろとされ、わたなべさんは19歳前後でした。結婚後に挿絵の仕事を始め、1952年に漫画家としてデビューしています。夫が当時学生だったとする資料もあり、若いころは挿絵の仕事で家計を支えていたようです。

Q3. 子供はいますか?

息子さんが1人います。1952年ごろ生まれの一般の方で、名前や職業は公表されていません。2018年には、本のチラシを息子さんの家の玄関に貼ってこようかしらと笑っていたというエピソードも伝わっています。

Q4. わたなべまさこさんは何歳で亡くなりましたか?

2026年10月3日に97歳で亡くなりました。10月13日に公式Xが発表しています。最期は穏やかに眠るように旅立ったと伝えられ、生前に用意していたメッセージも公開されました。

Q5. 美容家の渡辺雅子さんと同じ人ですか?

別人です。漫画家のわたなべまさこさんの本名も渡邊雅子ですが、美容家の渡辺雅子さんとは関係がありません。名前の読みが同じため、情報が混ざって出てくることがあるので注意が必要です。

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