たくろうきむらバンドの大学は松山大学!落研復活と中退の理由は?

たくろうきむらバンドの大学は松山大学!落研復活と中退の理由

たくろうのきむらバンドさんが通った大学は、愛媛県松山市にある私立の松山大学です。

在学中に廃部寸前の落語研究部を立て直し、地元のケーブルテレビに出るほどの人気者に。ただ、大学そのものは卒業せず中退しています。

この記事でわかること

  • きむらバンドさんの大学と、落語研究部に入ったきっかけ
  • 大学を中退した理由と、NSCへ進むまでの流れ
  • 10月31日放送のアナザースカイの予告と2026年の近況
項目 内容
芸名 きむらバンド(たくろう)
本名 木村太一(きむら たいち)
生年月日 1990年1月28日(36歳)
出身 愛媛県鬼北町生まれ、松山市育ち
高校 愛媛県立松山中央高等学校
大学 松山大学(中退)
養成所 NSC大阪校36期
担当 主にツッコミ
所属 吉本興業
目次

たくろうきむらバンドの大学は松山大学

きむらバンドさんの大学は地元・松山市の松山大学です。落語研究部での活動がお笑いの原点になり、在学中から「面白い大学生」として愛媛で知られていました。

一方で授業より笑いに夢中になり、最後は中退という形で大学を離れています。

  • 大学は私立の松山大学(愛媛県松山市文京町)
  • 1学年上の女性部長に誘われて落語研究部へ入部
  • 廃部寸前の部を立て直し、地元テレビにも出演
  • 卒業はせず中退し、NSC大阪校36期へ

松山大学はどんな大学?

松山大学は、1923年創立の松山高等商業学校をルーツに持つ大学。四国で最初、全国でも3番目の私立高等商業学校として生まれた、歴史ある学校なんですよね。

現在は経済・経営・人文・法・薬・情報の6学部を置く、四国最大の私立大学なんです。キャンパスは松山市の中心部にあり、愛媛大学と校地を接する立地。

松山大学の文京キャンパス
松山大学の文京キャンパス(出典:Wikimedia Commons/CT-May・CC0)

ネット上の学歴まとめには、松山大学を「市立」と書いたものも見かけます。けれど設置者は学校法人松山大学で、正しくは私立なんですよね。

建学の精神は「三実主義」で、真実・忠実・実用の3つを教育理念に掲げています。7万人を超える卒業生を送り出し、愛媛の政財界にも多くの人材を出してきた地元の名門と言えるでしょう。

学生の約半数は一人暮らしで、中四国の各地から学生が集まる大学。地元・松山で育ったきむらさんにとっては、実家から通える身近な進学先だったのでしょうね。

項目 松山大学の基本データ
種別 私立大学(学校法人松山大学)
創立 1923年(松山高等商業学校)
大学設置 1949年
所在地 愛媛県松山市文京町4-2
学部 経済・経営・人文・法・薬・情報の6学部
学生数 約5,700人
特色 四国最大の私立大学、図書館の蔵書は中四国最大

どの学部に在籍していたかは、本人の発信やプロフィールでは公表されていません。ネットで特定の学部名を挙げる声もありますが、確かめられる情報はありませんでした。

落語研究部に入ったきっかけ

高校まではバンド一筋だったきむらさん。大学で落語研究部に入ったのは、部長の熱意に心を動かされたから。

四国電力のWebメディア「愛でたい四国」のインタビューによると、勧誘してきたのは1学年上の女性の部長。新入生に「お笑いどうですか?」と一生懸命声をかける姿に、そのガッツがすごいと感じたのだとか。

当時の部は廃部寸前で、1年生が入れば存続できる状況でした。軽音楽ではなく落研を選んだ背景には、そんな人助けのような事情もあったんですね。

ちなみにWikipediaでは、部にいた先輩は1人だけだったとも紹介されています。きむらさんの入部が、部の命運を分けたと言っても大げさではないかもしれません。

廃部寸前の落研を復活

入部後のきむらさんは、漫才やコントにどっぷりはまっていくことに。落語研究部とはいえ、活動の中心は漫才やコントだったのでしょう。

やがて部は息を吹き返し、廃部寸前から見事に復活しました。この話は地元では有名なエピソードとして語り継がれる話。

競合のまとめ記事には、部員が約20人に増えた、全国大会で結果を残したといった具体的な数字も載っています。ただ、本人の発言や大学の発表では確認できなかったため、そうした紹介がある程度に受け止めておくのがよさそうです。

時期 落語研究部とのかかわり
入部時 部は廃部寸前、1年生が入れば存続できる状態
入部の理由 1学年上の女性部長の熱心な勧誘
在学中 漫才・コントに熱中し、部を立て直す
評価 廃部寸前の部を復活させた立役者として知られる

学生時代は愛媛のローカルスター

大学時代のきむらさんは、すでに半分プロのような活動をしていたんですよね。

スポーツ誌Numberのインタビューでは、在学中にイベントの司会を任されたり、営業でネタを披露したりしていたと紹介されています。自ら「愛媛の王様」と名乗っていた時期もあったのだとか。

地元のケーブルテレビにも出演し、学生ながら地域で顔の知られた存在に。愛媛には若手芸人がほとんどいなかったので、面白い大学生はそれだけで目立ったのでしょう。

ラジオでの本人の話では、ケーブルテレビや営業の依頼が次々に来たものの、学生なのでお金はもらっていなかったそうです。愛媛の深夜30分特番で、ただの大学生だった自分たちのコンビにドッキリが仕掛けられたこともあったとか。

学生時代のコンビ名は「オルタネイトピッキング」。ギター奏法の名前で、元バンドマンらしいネーミングですよね。学生お笑いの全国大会にも出ていたと、真空ジェシカのガクさんがラジオで紹介しています。

このコンビには、松山から東京の学生大会に遠征した逸話が残っています。ちょっと驚きの話なんですよね。真空ジェシカのガクさんが2026年2月のポッドキャスト「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」で語り、のちに本人へ確認して「かなり事実だった」と報告した話です。

大会の途中でMCのプロ芸人が主催者ともめて退場し、代わりにMCを任されたのが松山大学のオルタネイトピッキングでした。しかも主催者からは「絶対に優勝はないから」と言われたうえでの依頼だったとか。

完全アウェーの会場で、そんな事情をおくびにも出さず立派に司会をこなしたというから驚き。ガクさんたちは、こうした経験で胆力が培われたのだろうと感心していました。

エピソード 出どころ
学祭MCや営業、ケーブルテレビ出演 TBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」(2026年4月20日)
愛媛の深夜特番でドッキリを仕掛けられる 同上
卒業式の日に大学を辞める 同上
東京の学生大会で急きょMCを任される 「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」(2026年2月)
イベント司会や営業で「愛媛の王様」 Number Web(2026年2月11日)

本人は「愛でたい四国」の取材で、愛媛ではお笑いに触れる機会がテレビしかなかったと振り返っています。だからこそ「テレビにバンバン出たい」と、ぼんやり思っていたのだとか。

人を盛り上げる力は、漫才界の大先輩からも認められています。Numberによると、オール巨人さんはきむらさんとカラオケに行った際、その盛り上げ方に感心していたとのこと。

本人いわく、カラオケでは絶対に座らないのがルール。合いの手や替え歌、リアクションまで全部こなし、曲名が出ると「来た、来た、これ、誰だ?」と場をあおるのだとか。

理由は「取り残される人をつくりたくない」から。大学のイベント司会で鍛えた空気を読む力が、今のツッコミにも生きているのかもしれません。

学生時代の楽しみはドライブ。下灘の海岸線や四国カルストの景色を、仲間とワイワイ言いながら走ったのだそう。

香川の大学に通う友人を訪ねてよく遊びに行き、讃岐うどんを食べていたとも語っています。うどんが一番好きな食べ物というのも、この頃からの好みなんですね。

趣味のボートレースも香川とつながる話。初めてボートレースの仕事をもらったのがボートレース丸亀で、香川には恩があると話していました。

徳島だけは、剣山でガソリンが尽きかけて遭難しかけた思い出があり「ちょっと怖いイメージ」とか。四国4県それぞれに学生時代の記憶があるのは、地元っ子ならではですよね。

大学を中退した理由は?

きむらさんは松山大学を卒業しておらず、中退しています。理由について本人はNumberのインタビューで、とにかく楽しいことをやるのが好きで遊んでばかりいたので、大学も卒業できなかったと笑い交じりに答えています。

授業よりも、司会や営業、落研の舞台に時間を使っていたということでしょう。中退は挫折というより、芸人を目指す覚悟が先に固まった結果と見るのが自然です。

辞めたタイミングもユニーク。2026年4月20日放送のTBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」で、きむらさんは卒業式の日に大学を辞めたと明かしました。

卒業はできないと分かっていても、大学が楽しいから4年間は通おうと決めていたのだとか。みんなが卒業する日に、自分だけ退学するという結末。

同じ放送では、当時は週7でパチンコ店に通い、学校では喫煙所で友だちを探していたと笑っていました。それでも本心では、もう芸人になりたかったと話しています。

時期 きむらさんの状況(本人談)
在学中 落研で活動し、学祭MCやケーブルテレビ出演も
4年目 卒業式の日に大学を辞める
中退後の1年 NSCの資金を貯めようとするも、遊んで貯まらず
その後 「もう行っちまえ」と大阪のNSCへ

大学を辞めて芸人を目指すと決めたとき、周りの反応はどうだったのでしょうか。「愛でたい四国」の取材で、きむらさんは家族も友だちも地元の仲間も全員が応援してくれたと語っています。

みんなが口をそろえて「ええやん、夢持ってて!」と言ってくれたのだとか。だからこそ自分の人生はこれでいいと思え、疑いなく頑張れたのかもしれないと振り返っていました。

大学を離れたあとは大阪へ出て、NSC大阪校に36期生として入学します。2014年には杉元修平さん(現カンタービレ)と「バンドワゴン」を組み、2015年9月まで活動しました。

NSCに入って初めて大阪で生の漫才を見たとき、きむらさんは「全部、折られました」と語っています。テレビに出ていない人がこんなに面白いのかと驚き、そこから一気に真面目になったといいます。そこからが本当のスタートだったのでしょう。

NSCの同期にはバッテリィズやオダウエダがいます。大学中退から養成所へという道は遠回りに見えますが、落研時代の舞台経験は大きな財産になったはずです。

高校は松山中央でバンド活動

出身高校は愛媛県立松山中央高等学校です。高校時代はバンドを組み、ベースを担当していました。

面白いのは、そのころから笑いを優先していた点。ほかのバンドが5曲演奏するところを3曲にして、自分がたっぷりしゃべるライブをしていたとか。

目指していたのは、うまいベーシストより「一番おもしろいベーシスト」。芸名のバンドは、まさにこの高校時代の名残なんですね。

漫才のツカミでも「メガネのパーマ」「元バンドマンの」「愛媛県出身」の、きむらバンドと名乗るのが定番。高校のバンドと愛媛という2つのルーツを、毎回の自己紹介に込めているわけですね。

トレードマークのメガネは、実は撮影時の光の反射を避けるための伊達メガネ。表舞台ではコンタクトレンズの上に伊達メガネをかけているのだとか。

一方で小学4年生までは、高知県境に近い鬼北町で暮らしていました。同級生の少ない環境で、笑わせると人気者になれる体験をしたことが原点と語る記事もあります。

本人は、人懐っこく誰とでも壁なく触れ合える性格は、自然豊かな鬼北町で人のあたたかさに触れて育ったからだろうと話しています。

ふるさとの味は、南予の人なら必ず食べているセルフのうどん店「大介うどん」。高田商店のぽん酢しょうゆ「ゆずの里」や、ゆずドリンク「ゆずの里ロイヤル」は今も実家から送ってもらっているのだそう。

M-1優勝後は鬼北町の公民館に祝福の横断幕が掲げられました。高知寄りの地域に住んでいたため、電車で高知まで遠足に行ったこともあったとか。

愛媛県鬼北町川上の風景
きむらバンドさんが生まれた愛媛県鬼北町の風景(出典:Wikimedia Commons/osami・パブリックドメイン)
時期 学校・場所 主な出来事
小学4年まで 愛媛県鬼北町 自然豊かな町で育つ
小学4年以降 愛媛県松山市 松山へ転居
高校 県立松山中央高校 バンドでベース担当、MCで笑いを取る
大学 松山大学 落語研究部を立て直す、のちに中退
2014年 NSC大阪校36期 芸人の道へ

きむらバンドの経歴と2026年の現在

松山大学を中退したきむらさんは、NSCを経て2016年に赤木裕さんと「たくろう」を結成。2025年のM-1グランプリで頂点に立ちました。

2026年は東京へ拠点を移し、10月31日にはアナザースカイへの出演も控えています。

  • 2016年3月9日に赤木裕さんとたくろうを結成
  • M-1グランプリ2025で優勝し第21代王者に
  • 2026年4月から東京に拠点を移す
  • 10月31日放送のアナザースカイに出演予定

相方赤木裕の大学は京都産業大学

相方の赤木裕さんは滋賀県大津市の出身。光泉高校を経て、京都産業大学の経営学部を卒業しています。

小学校から高校まで野球を続け、大学では草野球チームに所属していました。2人とも大学時代にお笑い以外の熱中ものを持っていた点は、どこか似ていますよね。

項目 きむらバンド 赤木裕
生年 1990年 1991年
出身 愛媛県(鬼北町生まれ、松山市育ち) 滋賀県大津市
高校 松山中央高校 光泉高校
大学 松山大学(中退) 京都産業大学経営学部(卒業)
学生時代 バンドと落語研究部 野球(高校ではマネージャー転向も)
NSC 大阪校36期 大阪校37期

赤木さんの母校は、M-1決勝の舞台にも登場しているんですよね。ファーストラウンドのネタ「リングアナ」で「KSD 京都産業大学」というボケが飛び出し、会場の空気を一気に変えています。

赤木さんは2026年1月20日放送の「行列のできる法律相談所」で、前年8月に結婚していたことを公表しました。本人のXでも報告しています。

一方のきむらさんは、結婚を公表していません。交際相手についても、本人が明かした情報は見当たりませんでした。

NSCではきむらさんが1期先輩。赤木さんが「めちゃくちゃ面白いけど余っている」という噂を聞きつけ、きむらさんから声をかけたのが結成のきっかけです。

Numberの取材では、心斎橋で初めて会った瞬間に「一目惚れしていた」と明かしています。当時の赤木さんは今より15kgほど細い48kg前後だったというから驚きでしょう。

たくろう結成からM-1優勝まで

コンビ名の「たくろう」は、きむらさんが好きな木村拓哉さんと、赤木さんが好きなイチローさんを組み合わせたもの。結成からわずか5か月で、Kakeru翔GPを制覇。

M-1では2018年に初の準決勝へ進出しました。その後は準々決勝や3回戦での敗退が続き、苦しい時期が長かったんです。

転機は2025年。7大会ぶりの準決勝進出を果たすと、初の決勝で最終決戦へ。9票中8票を集め、史上最多11,521組の頂点に立ちました。

決勝のキャッチコピーは「軟弱の星」。ファーストラウンドは861点の2位通過で、最終決戦では「ビバリーヒルズ」のネタを披露しました。

審査員9人のうち、ドンデコルテに入れたのは山内健司さん1人だけ。それでも、きむらさんは「ほんまなん、これ?」とすぐには実感が湧かなかったのだとか。

優勝後は愛媛県庁を訪れ、中村時広知事の歓迎を受けました。愛媛のテレビでは7〜8年ほど前からレギュラーを持っていたため、地元の盛り上がりは相当なものだったようです。

年 出来事
2016年 たくろう結成、Kakeru翔GP優勝
2018年 今宮子供えびすマンザイ新人コンクール福笑大賞、M-1初の準決勝
2019年 ytv漫才新人賞決定戦2位
2024年 NHK上方漫才コンテスト準優勝
2025年12月 M-1グランプリ2025優勝、オールザッツ漫才2025優勝
2026年4月 活動拠点を東京へ

苦しい時期を支えたのは、先輩ツートライブの「いろんなこと試して戻ってくるんもありやからな」という言葉だったといいます。

ネタ作りは、赤木さんがざっくりとした原案を書き、2人で合わせながら仕上げるスタイル。きむらさんが提案したシチュエーションに赤木さんが乗り、ずれた言動をきむらさんが優しくたしなめる形が持ち味になっています。

2022年ごろからはボケとツッコミを入れ替えたネタも増えました。2人の漫才がグラデーションのように変化していくことを楽しんでほしい、と話していたこともあります。

アナザースカイの見どころ

きむらさんと赤木さんは、10月31日(土)23時放送の「Google Pixel presents ANOTHER SKY」(日本テレビ系)に出演します。MCは今田耕司さんと、10月3日放送分から新MCを務める齋藤飛鳥さんです。

お笑いナタリーが伝えた予告では、2人が初めて出会って言葉を交わしたファミリーレストランを再訪します。赤木さんの衣装を買った紳士服店、ネタ合わせをした会議室なども巡る内容。

ブレイクに届かず悩んだ日々の振り返りや、単独ライブの舞台裏への密着もあるとのこと。さらに家族が2人の知られざる素顔を明かすと予告されています。

家族といえば、M-1優勝の瞬間に木村家が大喜びする動画を妹さんがSNSに投稿し、大きな反響を呼びました。きむらさんはニッポン放送「ナイツ ザ・ラジオショー」で「僕より先に家族がバズってました」と笑っています。

両親や妹さんは一般の方なので、顔や名前を詳しく紹介することは控えます。番組でどんな言葉が語られるのか、放送を楽しみに待ちたいところです。

予告に松山大学の名前は出ていないものの、家族の証言からきむらさんの学生時代の話が飛び出すかもしれませんね。

項目 内容
番組 Google Pixel presents ANOTHER SKY
放送日時 2026年10月31日(土)23:00〜23:30
放送局 日本テレビ系
MC 今田耕司、齋藤飛鳥
予告内容 出会いのファミレス、紳士服店、商店街、会議室を再訪。単独ライブの舞台裏、家族の証言

木村拓哉との共演と現在

2026年のきむらさんにとって大きな出来事が、憧れの木村拓哉さんとの対面です。9月26日公開の木村さんのYouTube企画で、木村さん本人が吉本興業の東京本社までたくろうに会いに来ました。

きむらさんはInstagramで「末代までの家宝にします」と興奮を伝えています。部屋に写真集を飾り「神棚」と呼ぶほどのファンだけに、喜びは格別だったでしょう。

ファンになったきっかけは月9ドラマ「ラブジェネレーション」。今も木村さんのラジオを毎週欠かさず聴いているのだとか。赤木さんが初めてきむらさんの家に行った際には、写真集と木村さんが吸っていた銘柄のたばこがお供えのように並んでいて驚いたと話しています。

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東京での暮らしは2026年4月にスタート。TBSラジオでは、家賃が大阪の4〜5倍になったと驚き、ずっと工事中の渋谷に「もうええやろ」とツッコミを入れていました。

上京はM-1優勝がきっかけで、前から計画していたわけではないのだとか。愛媛の田舎者なので東京は今で十分最先端、という感想にも人柄がにじみますね。

地元愛媛とのつながりも健在。愛媛朝日テレビ「ちかくナルナル なるちか!」には2020年から6年あまり、月1回のロケで出演してきました。2026年7月からは同局で冠番組「寝耳にたくろう」が始まっています。

11月7日・8日には、大阪の万博記念公園で主宰イベント「たくろう万博」も開かれます。M-1の優勝直後に話していた構想が、本当に形になったんです。

テーマは「いのち笑って、またアシタ」。両日ともミルクボーイや見取り図、アインシュタインらが漫才で出演し、パビリオンや万博盆踊りも用意されています。

テレビCMも一気に増えた1年。2026年2月からGoogle、7月からはめちゃコミで佐久間大介さんと共演し、花王リセッシュの「無自覚臭」篇にも出演しています。落研で人を楽しませていた大学生が、今や全国のお茶の間に届く存在になったんですね。

2026年の主な活動 内容
4月 活動拠点を大阪から東京へ
4月 めざましテレビのマンスリーエンタメプレゼンター
7月 愛媛朝日テレビで冠番組「寝耳にたくろう」開始
7月〜9月 単独ライブ「たくろうさん2026」をルミネtheよしもと、なんばグランド花月で開催
9月26日 木村拓哉さんのYouTube企画で共演
10月31日 アナザースカイ出演
11月7日・8日 主宰イベント「たくろう万博」
この投稿をInstagramで見る

こちらは2026年の単独ライブ「たくろうさん2026」を終えた際の投稿。アナザースカイで密着された舞台裏も、この単独ライブのものと見られます。

きむらさんは四国の若者へ、自分の中の初期衝動を大切にして、とにかく楽しんでほしいとメッセージを送っています。失敗も時が経てば笑えることが山ほどある、という言葉には説得力がありますよね。

落研の部室から始まった笑いの道は、愛媛を飛び出して全国へ。大学を卒業しなかった遠回りも、今となっては大切な物語の一部と言えそうです。

まとめ

  • きむらバンドさんの大学は愛媛県松山市の私立・松山大学
  • 1学年上の女性部長に誘われ、廃部寸前の落語研究部に入部して立て直した
  • 司会や営業もこなすローカルスターだったが、大学は中退
  • 相方の赤木裕さんは京都産業大学経営学部を卒業
  • 10月31日のアナザースカイでは出会いの場所や家族の証言が予告されている

よくある質問

Q. きむらバンドの大学はどこ?

A. 愛媛県松山市にある私立の松山大学です。卒業はしておらず、中退しています。

Q. 松山大学は国立?私立?

A. 私立大学です。1923年創立の松山高等商業学校が前身で、四国最大の私立大学として知られています。

Q. 大学では何学部だった?

A. 在籍していた学部は公表されていません。特定の学部名を挙げる声もありますが、裏づけは見つかっていません。

Q. 大学を中退した理由は?

A. 遊んでばかりで卒業できなかったと本人が語っています。卒業式の日に辞めたとラジオで明かしました。

Q. 落語研究部に入ったきっかけは?

A. 1学年上の女性部長の熱心な勧誘です。部は廃部寸前で、1年生が入れば存続できる状況でした。

Q. 出身高校はどこ?

A. 愛媛県立松山中央高等学校です。高校時代はバンドでベースを担当していました。

Q. 相方の赤木裕の大学は?

A. 京都産業大学の経営学部を卒業しています。高校は滋賀県の光泉高校です。

Q. きむらバンドの本名は?

A. 木村太一(きむら たいち)さんです。芸名のバンドは高校時代のバンド活動に由来します。

Q. 出身地はどこ?

A. 愛媛県鬼北町で生まれ、小学4年生から松山市で育ちました。

Q. 学生時代のコンビ名は?

A. 松山大学時代は「オルタネイトピッキング」というコンビで学生お笑いの大会に出ていました。

Q. 大学時代からテレビに出ていた?

A. 地元のケーブルテレビに出演し、愛媛の深夜特番でドッキリを仕掛けられたこともあると本人が語っています。

Q. アナザースカイの放送はいつ?

A. 2026年10月31日(土)23時から日本テレビ系で放送予定です。

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