福田康夫元首相の妻は、福田貴代子さん(旧姓・嶺)です。元衆議院議長・櫻内義雄さんの姪にあたり、1966年に結婚しました。
福田康夫さんは2026年10月22日、心不全のため90歳で亡くなりました。結婚からちょうど60年の節目の年に、妻の貴代子さんに見送られて旅立ったことになるんです。
- 貴代子さんのプロフィールと、政治家一族との意外な縁
- 「政治家の女房にはしない」と誓った結婚と、その後の60年
- 首相夫人時代の活動や母子手帳の普及、子供や家族のこと
| 名前 | 福田 貴代子(ふくだ きよこ) |
| 旧姓 | 嶺 |
| 生年月日 | 1944年1月13日(2026年10月時点で82歳) |
| 出身 | 東京都 |
| 学歴 | 東京学芸大学附属高校、慶應義塾大学文学部(心理学専攻) |
| 父 | 嶺駒夫さん(実業家) |
| 親族 | 祖父・櫻内幸雄、おじ・櫻内義雄(元衆院議長) |
| 夫 | 福田康夫さん(第91代首相、2026年10月22日死去) |
| 結婚 | 1966年 |
| 子供 | 2男1女(長男は衆院議員の福田達夫さん) |
(妻は櫻内幸雄の娘)
第91代首相
旧姓・嶺
東京出身。祖父は政治家の櫻内幸雄
「政治家の女房にはしない」と言われての結婚
結婚10年で政治の道へ
選挙区を支える立場に
母子手帳の普及などで夫人外交
結婚から60年
福田康夫の妻は貴代子さん
貴代子さんは東京出身で、政治家・櫻内幸雄の孫娘です。慶應義塾大学で心理学を学び、1966年に福田康夫さんと結婚しました。
2007年から2008年にかけて首相夫人を務め、夫人外交でも存在感を見せているんです。
妻・貴代子さんのプロフィール
福田貴代子さんは1944年1月13日、東京都で生まれました。旧姓は嶺で、父は実業家の嶺駒夫さんです。
東京学芸大学附属高校から慶應義塾大学文学部に進み、心理学を専攻しました。大学時代にはバレーボールに打ち込んでいたそうです。
実は康夫さんも、東京学芸大学の前身にあたる学校の附属小学校を卒業しています。夫婦そろって同じ大学の附属校に学んだという、ちょっとした共通点があるんですね。
身長は170センチと女性としては高く、夫の康夫さんより1センチ低いだけだったといいます。並んで写る写真では、背の高さが目を引きますよね。
2026年の時点で82歳。夫を見送った今も、福田家を支える存在であることに変わりはありません。
櫻内家につながる名家の出身
貴代子さんの家系は、政界とも深くつながっています。祖父の櫻内幸雄さんは戦前の政治家で、おじには元衆議院議長の櫻内義雄さんと、中国電力の会長を務めた実業家の櫻内乾雄さんがいるんです。
| 続柄 | 人物 | 主な肩書 |
| 祖父 | 櫻内幸雄さん | 政治家(戦前に大臣を歴任) |
| おじ | 櫻内義雄さん | 元衆議院議長、元外務大臣 |
| おじ | 櫻内乾雄さん | 実業家、中国電力会長 |
| 父 | 嶺駒夫さん | 実業家 |
一方の福田康夫さんも、父は第67代首相の福田赳夫さん。政治の名門どうしの結婚だったわけです。
1966年の結婚当時、康夫さんの父・赳夫さんは佐藤内閣で大蔵大臣を務める有力政治家でした。一方の貴代子さんのおじ・櫻内義雄さんも、のちに外務大臣や衆議院議長を務める政治家でした。名門どうしの縁組みだったことがよく分かりますね。
不思議なめぐり合わせもあります。康夫さんが衆院選で初当選した1990年2月、貴代子さんのおじの櫻内義雄さんが衆議院議長に就任したんです。夫が国会の新人議員になったとき、おじは国会のトップに立っていたことになりますね。
こうした家系から、ふたりの結婚は「閨閥(けいばつ)」の代表例として紹介されることもあります。ただ、結婚当時の康夫さんは政治家ではなく、石油会社に勤める会社員でした。
出会いは卒業論文の指導
ふたりの出会いのきっかけは、意外なところにありました。Wikipediaによると、慶應義塾大学で心理学を学んでいた貴代子さんは、康夫さんに卒業論文の面倒を見てもらっていたそうなんです。
康夫さんは早稲田大学の出身で、当時は丸善石油(現・コスモ石油)に勤めていました。8歳年上の頼れる先輩のような存在だったのかもしれませんね。
貴代子さんは日本航空の客室乗務員への就職が決まっていたものの、康夫さんのプロポーズを受けて結婚を選んだ、と紹介されることもあります。
1966年の結婚当時、康夫さんは30歳、貴代子さんは22歳でしたね。
政治家の女房にはしないと誓った結婚
結婚のとき、康夫さんは貴代子さんに「政治家の女房にはしない」と誓ったといいます。首相の息子でありながら、自分は政治の道に進まないと考えていたんですね。
康夫さん自身、長く会社員として働くつもりだったのでしょう。丸善石油では17年余り勤め、海外との取引にも関わりました。のちに首相として資源国との関係強化に力を入れたのは、このころの人脈が生きたためだと言われています。
ところが結婚から10年後の1976年、康夫さんは会社を辞め、父・赳夫さんの秘書になります。赳夫さんが首相に就任した年のことでしたね。
康夫さんは父の秘書を14年間務め、首相秘書官として官邸での仕事も経験しています。会社員の妻として結婚した貴代子さんは、こうして首相の息子の秘書の妻となり、政治の世界に足を踏み入れていきました。
そして1990年、53歳で衆議院議員に初当選。結局、貴代子さんは「政治家の女房」になったばかりか、のちに首相夫人にまでなったわけです。
初めての選挙のとき、支持者の前に立つのを嫌がる康夫さんに、貴代子さんは「みんな、あなたを待っています。期待に応えなければいけません」と声をかけたと伝えられているんです。
初当選当時の選挙区は、中選挙区制の旧群馬3区でした。同じ選挙区には中曽根康弘さんや小渕恵三さんといった大物がひしめき、「上州戦争」とも呼ばれた激戦区です。そんななかで新人として戦う夫を支えるのは、並大抵の苦労ではなかったはずです。
2009年の衆院選では、康夫さんは73歳で比例代表との重複立候補ができず、民主党の新人に追い上げられて一時は落選も伝えられました。最終的には小選挙区で勝って7回目の当選を果たしましたが、夫婦にとって忘れられない選挙だったことでしょう。
首相の息子の妻として嫁ぎ、やがて自身も首相の妻に。福田家に嫁いだ貴代子さんは、義父・赳夫さんの首相時代から、夫・康夫さんの首相時代まで、二代にわたる首相の家を内側から見つめてきた数少ない女性でもあります。
約束とは違う人生になっても、夫の背中を押し続けた貴代子さん。その一言がなければ、首相・福田康夫は生まれていなかったかもしれません。
選挙区を守った内助の功
康夫さんが内閣官房長官を務めていた時期、地元の群馬に戻れない夫に代わって、貴代子さんが一人で選挙区を守ったと伝えられています。
康夫さんは森内閣と小泉内閣で官房長官を務め、在任期間は当時の歴代最長でした。東京で政府の要として働く夫を、地元で支えていたのが貴代子さんだったんです。
また、清和会(福田派の流れをくむ派閥)の議員夫人の会でも中心的な存在で、安倍昭恵さんが代表を務めていた時期も、実際の運営は貴代子さんが担っていたとされています。
首相夫人になってからも、支持者に「ファーストレディー」と声をかけられることがあったと時事通信の写真特集は伝えています。気さくな人柄で、地元の人たちから親しまれていた様子がうかがえます。
福田内閣のメールマガジンでは、自分にとって夫は「時には敬妻、時には恐妻、また時には愛妻で、時にはけんか相手」と答えていました。夫婦の距離の近さが伝わるユーモアのある言葉ですよね。
首相夫人としての夫人外交
2007年9月、康夫さんが第91代首相に就任し、貴代子さんは首相夫人になりました。在任は2008年9月までの約1年です。
前任の首相夫人は安倍昭恵さん、後任は麻生千賀子さんです。若い昭恵さんから、63歳の貴代子さんへ。落ち着いた大人の首相夫人として、内外の行事を堅実にこなしていきました。
首相就任後の2007年12月には康夫さんとともに中国を訪問し、老人ホームや北京日本人学校、日中青少年のアニメ・漫画展を視察しましたね。
2008年2月の韓国訪問では、李明博大統領の夫人・金潤玉さんにとって最初の外交相手となり、「ファーストレディの先輩として内助の功を学びたい」と言われたそうです。
このアフリカ開発会議は、康夫さんが日本の首相として初めて議長を務めた会議でもあります。夫が40人以上の首脳と個別に会談する一方で、妻は大統領夫人たちに母子の健康を訴える。まさに夫婦二人三脚の外交だったわけです。
5月のアフリカ開発会議では、来日したアフリカ各国の大統領夫人たちに、母子健康手帳の普及を訴えました。6月の欧州訪問では、ベルリンの壁博物館の館長に自作の折り鶴を手渡しているんです。
6月には、フランス料理のイベントで俳優の中尾彬さんとともに「アペリティフ親善大使」に任命されるなど、外交以外の場でも明るい話題を届けていました。
同年7月の北海道洞爺湖サミットでは、各国の首脳夫人を茶道でもてなしました。英国のブラウン首相夫人とは、妊産婦の健康についての講演も行っています。
同年3月には、群馬出身の4人の首相をたたえる記念室の開設式で、「ほかの3人は功績を残したが、夫は国民・県民に心配をかけている」とあいさつし、話題を呼びました。夫に厳しくも温かい、貴代子さんらしい言葉でしたね。
福田康夫の歩みと家族
康夫さんは父・赳夫さんとともに、憲政史上初の親子での首相となりました。貴代子さんとの間には2男1女があり、長男の達夫さんが政治の道を継いでいます。
2026年10月、90歳でその生涯を閉じました。60年連れ添った妻・貴代子さんを残しての旅立ちとなったんです。
子供は2男1女
福田夫妻の子供は、2男1女の3人です。長男の福田達夫さんは衆議院議員で、自民党の総務会長などを務めてきました。
達夫さんは2021年に自民党の総務会長に抜てきされ、党三役の一角を担いました。祖父と父が首相という家系から、将来の首相候補として名前が挙がることもあるんです。
達夫さんは群馬4区から出馬し、祖父・赳夫さん、父・康夫さんに続く3代目の政治家です。
達夫さんは1967年3月5日生まれ。両親が結婚した翌年に生まれた長男です。誕生当時、父の康夫さんはまだ丸善石油の会社員でしたね。
慶應義塾幼稚舎から慶應義塾大学法学部に進み、卒業後はアメリカのジョンズ・ホプキンズ大学高等国際関係学研究所の研究員を経て、三菱商事に入社しています。母の貴代子さんと同じ慶應の出身なんですね。
2004年に会社を辞めて父の秘書になり、2007年には首相秘書官として父を支えました。2012年に康夫さんが政界を引退すると、地盤の群馬4区を継いで初当選。父が会社員から政治家に転じた道を、息子もなぞるように歩んだわけです。
次男と長女は一般の方で、名前や職業は公表されていません。
| 続柄 | 人物 | 主な肩書 |
| 父 | 福田赳夫さん | 第67代首相 |
| 母 | 福田三枝さん | 群馬出身 |
| 義兄 | 越智通雄さん | 元経済企画庁長官(姉の夫) |
| 甥 | 越智隆雄さん | 元衆院議員 |
| 弟 | 横手征夫さん | 伊香保温泉の旅館に養子入り |
| 長男 | 福田達夫さん | 衆院議員 |
康夫さん側の親族にも政治家が多く、福田家は群馬を地盤とする政治の名門として知られています。その一族の中心で、60年にわたって家庭を支えてきたのが貴代子さんでした。
3人の子供が生まれたのは、康夫さんがまだ会社員だった時代です。のちに政治家の家族になるとは、当時は思ってもいなかったのかもしれませんね。
貴代子さんは2014年のnippon.comのインタビューで、2男1女を育てた経験が、母子手帳を世界に広めたいという思いの根っこにあると語っています。
母子手帳と希望の鶴の活動
首相夫人を退いたあとも、貴代子さんは社会活動を続けてきました。代表的なのが、日本の母子健康手帳を海外に広める取り組みです。
きっかけは、2008年のアフリカ開発会議でした。40か国以上の大統領夫人を前に母子手帳の良さを説明したところ、「素晴らしいのは分かった。ただ、お金がない」という反応が返ってきたそうなんです。
日本では1960年代半ばに乳幼児の死亡率が大きく下がりました。貴代子さんは、その背景に母子手帳が果たした役割が大きいと考えていたそうです。アフリカには戸籍のない地域も多く、母子手帳が戸籍の代わりにもなりうると語っていました。
2014年5月には、海外に住む日本人の妊婦に向けて、世界約228か所の在外公館を窓口に母子手帳1万5000冊を無料で配る取り組みが発表されました。ボストンに住む妊婦からの問い合わせがきっかけだったそうです。
そこから勉強会を重ね、2014年には親子健康手帳普及協会の顧問に就任。海外に住む日本人の妊婦に母子手帳を無料で配る取り組みにも関わりましたね。
東日本大震災のあとには、仮設住宅が少しでも明るくなるようにと、赤と金の折り鶴を大量に届けました。これが、宮城県石巻市の仮設住宅の住民が鶴を折る「希望の鶴」の取り組みにつながったと紹介されています。
被災地の人たちに寄り添い、自分の手で鶴を折って届ける。首相夫人という肩書きにとらわれず、一人の人として行動する姿勢が、多くの人の共感を呼んだのでしょう。
「希望の鶴」は、石巻の人たちが手作りした折り鶴を、復興への願いを込めて国内外に届ける取り組みとして広がりました。日本航空が空港で展示したり、機内で配ったりしたこともあります。かつて客室乗務員への道もあったとされる貴代子さんにとって、不思議な縁を感じる話ですね。
また、各国の駐日大使夫人を集めて裏千家のお茶の稽古も主催していました。2014年の時点で、ヨルダンやカナダ、スペインなど13人の大使夫人が参加していたといいます。首相夫人を退いたあとも、民間外交の担い手であり続けたんですね。
2022年7月には、ロシアの侵攻に苦しむウクライナを励まそうと、在日ウクライナ大使館を訪れて「希望の鶴」を贈ったことを上毛新聞が伝えています。
ウクライナの人々に、日本の被災地で生まれた希望の鶴を届ける。自然災害と戦争という違いはあっても、苦しむ人を励ましたいという思いは同じだったのでしょう。
同じ年の11月には東京都内で「希望の鶴」の感謝の集いが開かれ、貴代子さんがあいさつに立ちました。毎日新聞の写真には、その隣に康夫さんの姿も写っています。86歳になっていた夫が、妻の活動の場にそっと寄り添っていたんです。
福田康夫の死去と最期
福田康夫さんは2026年10月22日、心不全のため東京都内の病院で亡くなりました。90歳でした。死去は26日、関係者への取材で明らかになっているんです。
1936年7月16日、康夫さんは大蔵官僚だった福田赳夫さんの長男として、東京・世田谷に生まれました。6人きょうだいで、小学校に上がる前には父の仕事の関係で中国・南京で3か月暮らした経験もあります。
戦時中は父の実家がある群馬県の金古町(現在の高崎市)に疎開しました。麻布中学・高校を経て早稲田大学政治経済学部を卒業し、丸善石油に入社しているんです。
1936年に東京で生まれ、群馬で育った康夫さん。17年余りの会社員生活を経て40歳で政界入りし、2007年に71歳で首相に就任しました。
| 年 | できごと |
| 1936年 | 東京で生まれる(父は福田赳夫元首相) |
| 1966年 | 貴代子さんと結婚 |
| 1976年 | 丸善石油を退社し、父の秘書に |
| 1990年 | 衆院選で初当選 |
| 2000〜04年 | 内閣官房長官 |
| 2007年 | 第91代首相に就任 |
| 2008年 | 洞爺湖サミットで議長、9月に退任 |
| 2026年10月22日 | 90歳で死去 |
政治家としての転機は、2000年の内閣官房長官就任でした。森内閣、小泉内閣を通じて1289日務め、当時の歴代最長記録を打ち立てています。2004年に自身の年金未納が発覚して辞任しましたが、在任記録を塗り替えた際の会見では、自らを「影の外務大臣」などと呼ばれていることに触れ、「しょせん影ですから」とユーモアを交えて語っていたんです。
2007年9月、安倍晋三首相の突然の辞任を受けた自民党総裁選で麻生太郎さんを破り、第91代首相に就任しました。父・赳夫さんに続く、史上初の親子二代での首相誕生だったんです。
2008年9月1日の辞任会見では、記者の質問に「私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたとは違うんです」と返した場面が大きな話題になりました。この言葉は2008年の新語・流行語大賞のトップ10に選ばれましたが、康夫さんは受賞を辞退しています。
辞退の際に寄せたのは「花深く咲く処行跡なし」という一文でした。花が深く咲くところに足跡は残らない、という意味の言葉で、康夫さんらしい奥ゆかしさが表れていますよね。
2008年7月の北海道洞爺湖サミットでは議長を務めました。地球温暖化対策で各国の意見が割れるなか、康夫さんはホテルの内線電話などで首脳たちを夜通し説得し、2050年までに世界の温室効果ガス排出量を半減させる長期目標の共有にこぎつけています。
その傍らで、貴代子さんは各国の首脳夫人を茶道でもてなしていました。夫婦それぞれの持ち場で、日本の顔として大役を果たしたサミットだったんです。
首相としては、消費者庁の設置を決め、公文書の管理を強化する法整備を進めました。退任後も中国との関係改善に力を注ぎ、日中関係の安定に尽くしたと評価されています。
2012年に政界を引退したあとは、中国で開かれる国際会議「ボアオ・アジア・フォーラム」の理事長を務めるなど、アジアとの対話に力を注ぎました。人口問題をライフワークとし、アジア人口・開発協会の理事長としても活動しているんです。
夫が人口問題に取り組み、妻が母子手帳の普及に取り組む。分野は違っても、母と子の命や暮らしを守るという点で、夫婦の関心は重なっていたのかもしれませんね。
2026年8月の東京新聞のインタビューでは、体調は万全ではないなかでも、今の政治の空気への危機感を語っていました。最後まで日本の行く末を案じ続けた人生だったと言えるでしょう。
訃報を受けて、各社は消費者庁の創設や中国との関係安定に尽くした功績を伝えています。上毛新聞は、父・赳夫さんとともに憲政史上初の親子での首相となったことや、洞爺湖サミットで議長として手腕を発揮したことを振り返りました。
日本の首相経験者が亡くなると、内閣と自民党による合同葬が営まれることがあります。康夫さんの葬儀や今後のお別れの会については、10月26日時点では詳しく発表されていません。
結婚からちょうど60年。「政治家の女房にはしない」と誓って始まった夫婦の物語は、首相と首相夫人という形で、日本の歴史に刻まれることになりましたね。
若い頃と人柄
若い頃の康夫さんは、野球が大好きなスポーツ少年でした。小学生のころからの友人には、のちに中国大使を務めた谷野作太郎さんがいて、このころから交流があったといいます。
麻布高校の同級生には声優の柴田秀勝さんらがいました。早稲田大学を1959年に卒業すると丸善石油に入社し、40歳まで会社員として働いています。首相の息子でありながら、政治とは距離を置いた「サラリーマン時代」が長かったのが康夫さんの特徴なんです。
40歳で会社を辞めたときには、すでに2男1女の父親でした。安定した会社員生活を手放して政治の世界に飛び込む決断は、家族、とくに貴代子さんにとっても大きな転機だったはずです。
人柄については、冷静で淡々とした話しぶりが印象的でした。官房長官時代の会見では皮肉の効いたユーモアを見せることも多く、そのギャップに親しみを感じた人も多かったのではないでしょうか。
辞任会見から18年。退任後の康夫さんは、ボアオ・アジア・フォーラムや人口問題の国際会議など、国内の政局から少し離れた場所で、アジアとの対話に力を注いできました。国内の権力争いより、長い目で見た国と国との関係を大切にしたんです。
2006年の自民党総裁選では、有力候補と目されながらも出馬を見送りました。権力への執着を見せない姿勢は、のちに首相の座を1年で降りた潔さにも通じていたように思えます。
そんな康夫さんが「政治家の女房にはしない」という約束を守れなかったのは、ある意味で皮肉なことかもしれません。けれども、その約束の重みを誰よりも分かっていたからこそ、貴代子さんに感謝を伝え続けてきたのでしょうね。
まとめ
- 福田康夫さんの妻は福田貴代子さん(旧姓・嶺)で、1944年生まれ
- 祖父は政治家の櫻内幸雄、おじは元衆院議長の櫻内義雄さん
- 1966年に「政治家の女房にはしない」と誓って結婚したが、のちに首相夫人に
- 子供は2男1女で、長男は衆院議員の福田達夫さん
- 康夫さんは2026年10月22日に90歳で死去。結婚から60年の節目だった
約束とは違う道を歩むことになっても、夫を支え、自らも社会のために動き続けた貴代子さん。60年連れ添った夫を見送った今、その歩みに改めて光が当たっています。心よりご冥福をお祈りいたします。
よくある質問
Q1. 福田康夫さんの妻は誰ですか?
福田貴代子さんです。旧姓は嶺で、元衆議院議長・櫻内義雄さんの姪にあたります。
Q2. 結婚したのはいつですか?
1966年です。康夫さんは30歳、貴代子さんは22歳でした。
Q3. 子供はいますか?
2男1女の3人です。長男は自民党の衆議院議員・福田達夫さんです。次男と長女は一般の方です。
Q4. 福田康夫さんは何歳で亡くなりましたか?
2026年10月22日に90歳で亡くなりました。死因は心不全と報じられています。
Q5. 貴代子さんは現在何歳ですか?
1944年1月13日生まれで、2026年10月時点で82歳です。夫の康夫さんより8歳年下で、結婚から60年を共に歩んできました。
Q6. 福田達夫さんの妻は誰ですか?
達夫さんの妻については、公表されている情報がほとんどありません。家族のプライバシーとして大切に守られているとみられます。
Q7. 貴代子さんはどんな活動をしていますか?
日本の母子健康手帳を海外に広める活動や、被災地の「希望の鶴」の取り組みなどで知られています。
Q8. 福田康夫さんと福田赳夫さんの関係は?
父子です。親子そろって首相を務めたのは、憲政史上初めてのことでした。赳夫さんは1976年から1978年まで、康夫さんは2007年から2008年まで首相を務めています。
Q9. 福田康夫さんの息子は誰ですか?
長男は衆議院議員の福田達夫さんです。1967年生まれで、三菱商事勤務や父の秘書を経て、2012年に初当選しました。
Q10. 福田家は何代続く政治家の家系ですか?
祖父の福田善治さんが群馬の町長を務め、赳夫さん、康夫さん、達夫さんと続きます。国政では赳夫さんから達夫さんまで3代です。





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