横山裕さんの父親については、実の父も義父も現在の消息が公表されていません。
実父とは3歳のときに別れたきりで、顔も分からないと本人が語っています。義父とは何年も会っていないとも明かしてきました。
そのうえで2025年の24時間テレビでは、父と呼んだ人が3人いたと母の墓前で口にしています。
- 実の父と義父それぞれについて本人が語ってきたこと
- 父と呼んだ人が3人という発言の中身と、分かっていない部分
- 母の死と弟2人を支えた歩み、2026年の活動
| 名前 | 横山裕(よこやま ゆう) |
| 本名 | 横山侯隆(よこやま きみたか) |
| 生年月日 | 1981年5月9日 |
| 年齢 | 45歳(2026年8月時点) |
| 出身地 | 大阪府大阪市此花区 |
| 身長 | 176cm |
| 血液型 | A型 |
| 所属 | STARTO ENTERTAINMENT |
| グループ | SUPER EIGHT |
| 実父 | 3歳で両親が離婚、以降の消息は公表なし |
| 義父 | 5歳のときに母が再婚、現在の消息は公表なし |
| 母 | 美菜子さん(2010年5月16日に死去) |
※本人がテレビ番組やインタビューで語った内容および各紙の報道をもとに作成
横山裕の父親と現在の関係
実父とは3歳で別れており、顔も分からないと本人が語っています。義父とも長く会っていません。
どちらも一般の方で、現在どこで何をしているかは公表されていないんです。
実の父は3歳で別れ顔も知らない
まず実の父について、分かっていることを押さえます。
横山裕さんが3歳のとき、両親が離婚しました。その後は母親に引き取られています。
以降、実父と会った記録は語られていません。2025年8月30日放送の日本テレビ系「24時間テレビ48」でも、こう明かしていました。
24時間テレビで語った実父について
- 「僕の実の父、顔は全く分かってないですね」
顔を知らない。つまり写真すら手元になかった可能性が高いです。
3歳といえば、記憶が定着し始めるかどうかの年齢。別れた時点で顔を覚える機会がなかったのでしょう。
実父の名前も職業も、現在の居所も公表されていません。一般の方ですから、当然と言えば当然ですよね。
本人が会いたいと語った場面も確認できていません。この話題については、いつも短い言葉で済ませている印象です。
会ったことのない人を恨むことも、慕うこともできない。実父についての語り口の淡白さは、そういう距離感の表れなのでしょう。
ネット上には実父の職業や現在を推測する記述も見られますが、裏づけのある情報は確認できませんでした。
離婚から40年以上が経っています。仮に消息が分かったとしても、それを公にする理由はないでしょう。
横山という姓は2人目の父から
いま名乗っている横山という姓には、はっきりした由来があります。
5歳のとき、母が再婚しました。このとき姓が横山になっています。
本人の説明はこうでした。
姓の由来についての発言
- 「僕が2人目のお父さんの名字を継いだんで」
- 「僕ほんまは横山じゃないんやろうな…説」
本名は横山侯隆さん。読みは、よこやま きみたかです。
つまり芸名の横山裕は、姓が義父由来、名は本名をもとにした形になります。
自分の名字が本当の自分のものなのか分からない。そういう感覚を冗談めかして口にできるまでに、長い時間がかかったのでしょうね。
デビュー以来ずっと横山裕として活動してきました。ファンにとっては当たり前の名前ですが、本人の中ではまた違う重みがあるわけです。
芸名を変えるという選択肢もあったはずです。それでも横山を名乗り続けているのは、弟たちと同じ姓だからなのかもしれませんね。
血のつながりより、一緒に暮らした年月を大事にする人。ここまでの歩みを見ていると、そう感じられます。
| 呼び方 | 本人が語っている内容 |
| 実の父 | 3歳で両親が離婚、顔は全く分からない |
| 2人目の父 | 5歳のときに母が再婚した相手、横山姓の由来 |
| 3人目 | 父と呼んだ人が3人いたと明かしたが詳細は語られていない |
義父との関係と本人が語った言葉
2人目の父との関係については、かなり具体的に語られてきました。
最も詳しかったのが、2019年に放送されたNHKスペシャル「令和家族 幸せ探す人たち」です。
再婚から間もなく、義父から突然こう言われたといいます。今日からお父さんと呼びなさい、と。
NHKスペシャルで語った当時の記憶
- 「衝撃でした。全然言えなくて。頭をどつかれた。『はよ呼べ』って」
- 「はじめは幸せだったかもしれないですけど、オカンはよく泣いていた」
- 「悪くは言いたくないけど、怒号が聞こえたときもあった」
5歳の子供に、いきなり呼び方を求める。しかも応じられないと手が出る。想像するだけで息苦しくなる場面ですよね。
実の父の記憶がない子にとって、お父さんという言葉は初めて口にする呼び名だったはずです。それを命令として求められたわけです。
24時間テレビでも、同じ時期について触れています。
24時間テレビで語った家庭の記憶
- 「横山のお父さんとはうまくいってなかった」
- 「自分の中で居場所がなくなった感覚があって。俺、いらんのかなって思った時期もあるし」
- 「じいちゃん、ばあちゃんのところに逃げた記憶がある」
祖父母の家が避難場所になっていたわけです。子供が家から逃げるというのは、相当な状況だったのでしょう。
居場所がないという感覚は、その後の人格形成にも影響したはずです。人に気を遣う性格だと語られることが多いのも、この経験と無関係ではなさそうですね。
グループの中でも、周囲を立てる役回りを担ってきた人です。長男として家庭を回してきた癖が、そのまま出ているのかもしれません。
それでも本人は、義父を一方的に悪く言う語り方をしていません。悪くは言いたくないという前置きが、毎回のように入るんです。
母が選んだ相手であり、弟2人の父でもある。単純に切り捨てられる存在ではないのでしょう。
自分の傷を語りながら、相手を断罪しない。この線引きができる人は、そう多くありません。
同時に、無理に美談にもしていません。許せていない部分があるという事実を、そのまま置いているんです。
父と呼んだ人が3人いたという告白
いちばん気になるのが、2025年の告白でしょう。
24時間テレビのVTRで、横山さんは母の墓前に手を合わせました。そこで、父と呼んだ人が3人いたと明かしています。
1人目が実の父。2人目が横山姓の由来となった義父。ここまでは本人の説明ではっきりしています。
問題は3人目です。この人物について、本人は詳しく語っていません。
報道各社も、3人目が誰なのかまでは伝えていないんです。番組でも深掘りはされませんでした。
母は義父との結婚のあと、闘病中に離婚しています。その後の家庭の形については公表されていません。
つまり3人目が誰なのかは、現時点では分かっていないというのが正確なところです。
血のつながった父、姓をもらった父、そしてもう1人。数だけを見れば、家庭の形が何度も変わったことを示しています。
子供にとって、父と呼ぶ相手が入れ替わるのは大きな出来事です。それを3回経験したことになりますよね。
ネット上には推測を書いた記事も見られますが、本人の発言や報道で裏づけられたものではありませんでした。
父と呼んだ相手が3人いた。その事実だけを重く受け止めるのが、いまは適切な読み方でしょう。
呼んだという表現も気になるところです。父だった人ではなく、父と呼んだ人。呼ばされた記憶があるからこその言い回しに見えます。
5歳のときに、はよ呼べと迫られた経験を思えば、この動詞の選び方には意味がありそうですよね。
上位に並ぶ記事の多くは、3人の内訳を断定して書いています。ですが本人も報道各社も、3人目については明かしていないんです。
分かっていないことを分かっていないと書く。この話題については、それがいちばん誠実な扱い方でしょう。
義父の現在について分かっていること
では義父はいま、どうしているのでしょうか。
結論から言えば、現在の消息は公表されていません。名前も職業も明かされていないんです。
分かっているのは、母が闘病中に離婚しているということ。そして本人が何年も会っていないと語っていることです。
義父との現在の距離について
- 「口にするのも怖い。横山のおっさんとは何年も会ってない」
- 「ちょっとまだ許せてない部分もある」
この発言は2019年のものです。それから7年が経ちましたが、関係が変わったという情報は出ていません。
許せていない部分もある、という言い方が誠実ですよね。全部を許したとも、完全に憎んでいるとも言っていないんです。
時間が経てば自然に許せるという話でもないのでしょう。整理がつかないまま抱えている、というのが実際のところだと思います。
無理に和解を求める声もありますが、それは他人が言うことではありませんよね。
6歳下と8歳下の弟は、この義父との間に生まれた父親違いのきょうだいにあたります。つまり弟たちにとっては実の父になるわけですね。
その関係を思えば、公の場で強い言葉を使えないのも当然でしょう。
弟たちが施設に預けられたのは、母の離婚と闘病が重なった時期でした。義父が家庭にいなくなったあとの話になります。
病気の妻と幼い子供を置いて何をしていたのか、という声も放送後には上がりました。とはいえ当事者にしか分からない事情があるはずです。
本人が語っていない部分を、外野が断定するのは筋が違いますよね。
義父も弟たちにとっては父です。兄が語る家族史と、弟が語る家族史は、必ずしも同じにならないでしょう。
だからこそ横山さんは、自分の視点からしか話していません。弟の分まで語ろうとしないところに配慮を感じます。
24時間テレビで義父が語られなかった理由
2025年の放送を見た人の間で、ひとつの疑問が出ました。義父の話がほとんど出てこなかったことです。
母のこと、弟のこと、児童養護施設のことは詳しく描かれました。ところが義父については、うまくいっていなかったという一言に近い扱いだったんです。
理由は説明されていません。ただ、いくつか事情は想像できます。
- 義父は一般の方であり、番組が踏み込みにくい相手であること
- 弟2人にとっては実の父にあたり、名誉に関わること
- 番組のテーマが子ども支援であり、告発の場ではなかったこと
- 本人が許せていない部分もあると語っており、整理が済んでいないこと
チャリティー番組で特定の個人を責める構成にはできません。そこは配慮が働いたと考えるのが自然でしょう。
視聴者からは、なぜ義父の話がないのかという声も上がりました。とはいえ、語らない選択にも意味があるはずです。
掘り下げれば数字は取れたかもしれません。それをしなかった判断は、番組としてまっとうだったと思います。
描かれたのは、母への感謝と弟への思いでした。恨みではなく感謝を軸にした構成だったわけですね。
見ている側としても、そのほうが受け取りやすかったはずです。誰かを責める放送では、募金は集まりにくいでしょうから。
結果として7億円を超える募金が集まりました。語り方の選択が、そのまま数字に表れたとも言えますよね。
施設で育つ子供たちにとっても、大きな励みになったはずです。同じ場所から出てきた人が、いま全国放送で走っているのですから。
本人が語りたくなったときに語ればいい。そういう距離感で見守るのが、いちばん健全な受け止め方かもしれませんね。
実際、生い立ちを本格的に語り始めたのはデビューから20年以上たってからでした。2019年のNHKスペシャルが最初の大きな機会だったんです。
それまでは明るいキャラクターで通してきた人です。話せるようになるまでに、それだけの時間が必要だったのでしょう。
2021年には教育をテーマにした新聞のインタビューにも応じています。一人で背負わない方がいい、という趣旨の言葉を残しました。
自分がまさに一人で背負ってきた人だからこそ、重みのある助言ですよね。
相談できる大人がいなかった子供時代を、そのまま反転させた言葉にも聞こえます。
母と弟を支えた歩みと2026年の現在
母の美菜子さんは2010年5月16日、虚血性心疾患のため50歳で亡くなりました。横山さんが29歳のときです。
その後は弟2人と3人で暮らし、生活を支えてきました。2026年もドラマやソロ活動を続けています。
横山裕のプロフィールと経歴年表
歩みを並べると、家庭の事情と仕事が常に重なっていたことが分かりますよね。
| 時期 | できごと |
| 1981年5月9日 | 大阪市此花区で誕生 |
| 3歳のとき | 両親が離婚し母に引き取られる |
| 5歳のとき | 母が再婚し横山姓になる |
| 6歳下・8歳下 | 父親違いの弟が2人生まれる |
| 1996年12月25日 | ジャニーズ事務所のオーディションに合格 |
| 1998年4月 | テレビドラマ「ドンウォリー!」で俳優デビュー |
| 2002年 | 関ジャニ∞の結成メンバーに |
| 2004年 | 「浪花いろは節」でCDデビュー |
| 2010年5月16日 | 母・美菜子さんが虚血性心疾患のため50歳で死去 |
| 2013年2月 | トランペットを始める |
| 2019年 | NHKスペシャルで生い立ちを語る |
| 2021年4月 | 「コタローは1人暮らし」で連続ドラマ初主演 |
| 2024年 | グループ名がSUPER EIGHTに変更 |
| 2025年5月9日 | ソロプロジェクト「ROCK TO YOU」を始動 |
| 2025年8月30日・31日 | 24時間テレビ48でチャリティーランナーを務める |
| 2026年1月16日〜3月13日 | テレビ東京「元科捜研の主婦」に出演 |
| 2026年5月9日 | 日本テレビ「アナザースカイ」に出演 |
母美菜子さんの死と弟2人の日々
家族の転機は2010年だったんです。
母の美菜子さんは、胃がんを患っていたと伝えられています。闘病の途中で義父とは離婚したそうです。
経済的に苦しくなり、弟2人は児童養護施設で暮らすことに。横山さんはその間、働きながら支えていました。
そして2010年5月16日、母は虚血性心疾患のため50歳で急逝しました。突然のことだったといいます。
訃報が届いたのは、青森でのソロライブの開演4時間前。それでもライブは予定通り行われているんです。
この判断がどれほど重いものだったか。想像すら難しいですよね。
母が亡くなったのは、自身の誕生日である5月9日のわずか1週間後でした。29歳になったばかりの出来事だったことになります。
その日を境に、家族の柱が完全に自分ひとりになりました。
父と呼べる人がいない状態で、弟2人の親代わりを引き受ける。29歳での決断としては、あまりに重いものでした。
当時はまだグループの活動も忙しい時期です。仕事と家庭の両方を回すのは、簡単なことではなかったはずですよね。
それでも施設から弟を引き取り、3人で暮らす道を選びました。家族をもう一度そろえたかったのでしょう。
母の死のあと、上の弟には大きな異変が起きました。母の死にまつわる2年ほどの記憶が、完全に抜け落ちてしまったんです。
横山さんは大阪市に家を借り、弟2人との3人暮らしを始めます。生活費も学費も背負う形になりました。
弟の記憶が戻ったのは、それから2年後のことだったのだとか。
記憶が抜け落ちるほどの衝撃を受けた弟と、その隣で生活を回し続けた兄。想像を超える2年間だったはずです。
この時期のことを、横山さんは長く公の場で語りませんでした。番組で明かされたのは、ずいぶん後になってからでしょう。
弟たちが独り立ちするまで、生活費も学費も背負い続けたといいます。20代のほとんどを、そこに費やしたわけですね。
当時を振り返った言葉が残っています。がむしゃらだった、お金を稼がないと生きるために、という趣旨のものでした。
中学卒業で芸能の道に入った人が、20代で一家の柱になった。その重さが、この一言に詰まっていますよね。
ジャニーズ事務所のオーディションに合格したのは1996年12月25日、15歳のときでした。
入所の経緯も変わっているんです。中学3年のときに友人たちと履歴書を書いたものの、送り先が分からず放置していたそうです。
それを母が勝手に事務所へ送っていました。うちの子も入れるんちゃうか、という気持ちだったのだとか。
書類審査は通過したものの、当日は前夜に夜遊びをして遅刻。審査員だった滝沢秀明さんに落とされかけたところ、当時の社長だったジャニー喜多川さんの目に留まって合格したと語られています。
高校には進学せず、建設会社に入って働き始めています。芸能活動と並行しながら、家計を支えるために体を使う仕事を選んだわけですね。
同世代の仲間が制服姿でテレビ局に入っていく中、横山さんはニッカポッカで現場から向かっていたといいます。この光景だけで、当時の生活が伝わってきますよね。
10代でジャニーズJr.として活動しながら、昼は建設現場。売れる保証もない中での二足のわらじでした。
デビューは2004年、23歳のとき。関ジャニ∞の結成が2002年ですから、Jr.時代が7年以上あったことになります。
その長い下積みを支えたのが、家を支えなければという意識だったのでしょう。
グループのデビューから6年後に、母を亡くしています。ようやく生活が安定し始めた矢先の出来事でした。
2025年の24時間テレビで走った105キロ
2025年、横山さんは大きな役割を引き受けました。
8月30日と31日に放送された「24時間テレビ48」のチャリティーランナーです。走った距離は105キロでした。
テーマに掲げたのが子ども支援。自身の生い立ちと重なるテーマを、あえて選んだ形ですね。
似た境遇の子供たちがいることを知ってほしい、という趣旨の言葉も残しています。走ること自体が発信の手段だったわけです。
スタート地点でのコメントも印象的でした。シングルマザーの家庭で育ち、弟も施設にお世話になった。少しでも知ってもらえたら、という趣旨の言葉なんですね。
番組では、弟が過ごした児童養護施設も訪ねました。そこに残された日誌を読み、涙が止まらなくなる場面もあったんです。
20年の時を経て、弟がどんな思いで暮らしていたかを知ったわけです。
施設に預けたことへの負い目は、ずっと抱えてきたはずです。日誌に書かれていたのが恨み言ではなかったからこそ、涙が止まらなかったのでしょう。
走る前から泣いていたという報道もありました。105キロという距離以上に、心の負荷が大きい企画だったのだと思います。
マラソン子ども支援募金は7億40万8600円に達しました。走る前から涙を見せた姿を含め、多くの人の記憶に残る放送になったのでしょう。
母の墓前で父と呼んだ人が3人いたと明かしたのも、このときのVTRでした。
母についても、あたたかい言葉を残しています。貧乏だったはずなのに、それを見せなかった人だったという趣旨の話です。
自分にはお金を使わず、子供にはいい服を着せていた。幼少期の写真を見ると、それがよく分かるのだとか。
裕福ではなかったけれど幸せだった、とも語っていました。父親の記憶が薄い分、母の存在が大きかったのでしょう。
父については語る言葉が少なく、母については具体的な情景が次々と出てくる。この差そのものが、家庭の形を物語っていますよね。
父親という言葉で調べても、出てくるのは母の話ばかり。それがこの人の家族史なのだと思います。
2026年の活動と現在地
2026年に入ってからも、活動は途切れていません。
1月16日から3月13日にかけては、テレビ東京のドラマ「元科捜研の主婦」に吉岡道彦役で出演。
5月9日には日本テレビ「アナザースカイ」に登場。フィリピンのセブ島を訪れ、家族との思い出をたどりました。
この回では、母と弟たちと出かけた15年前の旅行が語られます。携帯の待ち受け画面を15年間変えていないというエピソードも明かしていました。
母に向けて、天を見上げながら語りかける場面も。見ていた人の反響は大きかったんですよね。
母亡きあとに弟2人を育てた兄の顔が、あらためて多くの人に届いた回でもありました。家族愛に胸を打たれたという声が並んでいます。
セブ島は、母や弟と旅行した思い出の場所。15年前の記憶をたどる旅になったわけですね。
音楽面ではソロプロジェクト「ROCK TO YOU」が続いています。2025年5月9日、自身の誕生日に始動したものです。
誕生日に新しいことを始めるというのは、母の命日が近いことを思うと意味深く感じられますよね。5月9日に生まれ、5月16日に母を見送った人ですから。
2013年からはトランペットも続けています。グループの中で楽器を担当する立場でもあるんです。
楽器を始めたのは31歳のとき。決して早い年齢ではありませんが、そこから人前で吹けるところまで持っていったわけですね。
何かを始めるのに遅すぎることはない。本人の歩みそのものが、そう言っているように見えます。
45歳のいまも、新しい仕事を増やし続けています。止まらない人なんですよね。
父親という存在から受け取れなかったものを、仕事と家族で埋めてきた45年。そう見ると、いまの活動量にも納得がいきます。
実父も義父も表に出てこないまま、話は本人と母と弟だけで完結している。それがこの家族の、いまの形なのでしょう。
45歳になったいま、グループと個人の両方で動き続けている状態。父親との関係に区切りがついたかどうかは分かりませんが、前を向いていることだけは確かでしょう。
俳優としての仕事も増えました。2021年の「コタローは1人暮らし」では、初の連続ドラマ主演を務めています。
親を失った子供と暮らす役どころでした。自身の生い立ちと重なる作品を選んだのかどうかは語られていませんが、印象に残る一作です。
近年はバラエティだけでなく、こうしたヒューマンドラマでも起用が増えています。役者としての評価が上がっている証拠でしょう。
グループはSUPER EIGHTと名前を変え、活動の形も変わりました。その中で個人の仕事を広げているのが2020年代の横山さんです。
横山裕の父親についてのまとめ
- 実の父とは3歳のときに別れており、顔も分からないと本人が語っている
- 横山という姓は5歳のときに母が再婚した2人目の父から受け継いだもの
- 義父とは何年も会っておらず、まだ許せてない部分もあると明かしている
- 父と呼んだ人が3人いたと語ったが、3人目については詳細が公表されていない
- 実父も義父も一般の方で、現在の消息や職業は明かされていない
父親についての情報が少ないのは、隠されているからではありません。本人が語れる範囲を、慎重に選んできた結果なのでしょう。
父と呼んだ人が3人いて、そのうち2人としか記憶を共有していない。それでも弟2人を育て上げた人が、いまも走り続けています。
自分が受け取れなかったものを、弟たちには渡そうとした。それがこの人の生き方なのだと思います。
2025年に子ども支援をテーマに走ったのも、その延長線上にあるのでしょう。過去を語ることが、誰かの役に立つと分かったからだと思います。
よくある質問
Q1. 横山裕さんの実の父親はいま何をしていますか
A. 公表されていません。3歳のときに両親が離婚して以降、会ったという話も出ておらず、本人は顔も全く分からないと語っています。名前や職業、現在の居所についても明かされていないんです。
Q2. 義父とはいまも会っていないのですか
A. 2019年放送のNHKスペシャルで「横山のおっさんとは何年も会ってない」「ちょっとまだ許せてない部分もある」と語っています。それ以降、関係が変わったという情報は出ていません。義父も一般の方で、現在の状況は公表されていないんです。
Q3. 父と呼んだ人が3人いたとはどういう意味ですか
A. 2025年8月30日放送の24時間テレビで、母の墓前に手を合わせた際に明かした言葉です。1人目が実の父、2人目が横山姓の由来となった義父にあたります。3人目については本人も詳しく語っておらず、報道でも伝えられていません。
Q4. 横山という名字は本名ですか
A. 本名は横山侯隆さんで、読みは、よこやま きみたかです。ただし横山という姓は5歳のときに母が再婚した相手から受け継いだもの。本人も「僕ほんまは横山じゃないんやろうな」と番組で口にしています。
Q5. 母親や弟はどうなりましたか
A. 母の美菜子さんは2010年5月16日、虚血性心疾患のため50歳で亡くなりました。横山さんが29歳のときです。父親違いの弟2人は一時期児童養護施設で暮らし、その後は横山さんが大阪市に家を借りて3人での生活を始めました。上の弟は母の死にまつわる約2年分の記憶を失い、2年後に戻ったといいます。

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